2019/12/01    蹴上の墓参り
 
 昨年11月下旬、OT君が旅立って1年が過ぎた。感性豊かで男気があって、周囲をみわたしてどちらかを持っている友人知人はいるけれど、両方を兼ねそなえる人はいるのだろうか疑わしい。
 
 と書いていたら、古美研庭園班OBのなかにもきっぷのいい男が千葉県在住の同期、神奈川県の後輩(3学年下)にもいることを思い出した。ほかにもうひとり、やはり庭園班の後輩女性で、大金持っているわけでもないのにきっぷがよかった。彼女は江戸っ子なのだ。
彼女の実家は巣鴨だったかどうか記憶は曖昧だが、実家の近くに坂東玉三郎の生家(旅館)があると語っていた。OB会掲示板の登場回数も彼女か小生かというくらい多かったけれど、招かれざる結果を招き疎遠になってしまった。
 
 OT君の墓は蹴上から三条通をわたって南東方向に進んだ「九条山」バス停近くの古びた狭い石段を上がったところにある。今春3月31日、伴侶とHMさん(伴侶の中学時代の同窓生)がOT君の奥さんにさそわれて墓参りした。蹴上駅で待ち合わせたのだ。3月末にしては寒い日で、例年ならサクラも見ごろを迎えているのに花見には早すぎた。
サクラに浮かれないでぼくのことを思い出してくれよと彼が遅らせたのかもしれないと女3人が南禅寺近くの店で、湯豆腐を食べながら話したそうである。
 
 中学時代の同窓会はたった2度しか開かれず、しかも初回、OT君は連泊の登山があって出席できず、二回目に出席し、その3ヶ月後に伴侶とHMさんがOT君の自宅で催された還暦祝に招待され、いまはないハイキング倶楽部やまなみ主催のハイキングに行くなどして交流がはじまった。
中学時代ことばを交わしたこともなく、HMさんも同様であったのに、40年以上もたって。同窓会は2度だけだが、気の合う者同士・小グループの集いは数回あった。
 
 OT君は京都御所の北、今出川通に面した大学に4年間通っており、卒業後も頻繁に上洛したのは京都に深い愛着を感じていたからだろう。OT君はハイキングで歩いた周山街道や、木津川市、八幡市、嵐山などのほかに、山科から三井寺にぬける道を選び、中学時代の同窓生と共に歩いた。思い出をかみしめるために。同じ道や場所をふたたび仲間と歩く。そういうところが私と類似している。
 
 最後のハイキングは2018年5月28日、大阪府泉南郡熊取町の雨山だった。低い山を歩いたのはすでに体力が衰えていたからだ。5月13日は奈良県宇陀市の伊那佐山に登った。ブログは6月18日で終わっている。小学校時代(6年生)の同窓会が6月3日にあり、そのときの写真と一緒に小学生OT君の写真が7枚アップされていた。
 
 OT君の奥さんは東京出身で、学生時代旅先で知り合い交流が続きゴールインした。東女に京男。共通の趣味は旅とハイキング。大阪扇町で大きな旅館を経営していたOT君の父をよそ目に彼は波佐見焼の仕入れを生業とした。長崎出身の母親となにか関係があったのかもしれない。
先に母親が亡くなり、父親は旅館を更地にして賃貸マンションとテナントビルを数軒建てた。
 
 父親の死によってOT君は賃貸経営にタッチした。相続税対策のためビル一軒を売り払う。息子さんに管理を、奥さんに事務をゆだね、事務所行きは週一か週二。OT君はアクリル画に専念する。
「家内が縁談をもってきても息子は写真を見ようともしない。恋愛する気もないし」とこぼしていたらしい。
 
 HMさんは富山出身。高岡の雨晴(あまはらし)海岸のポスターをOT君に送ったら、早速泊まりがけのプランを立て、北アルプス登山の帰りに寄ったそうである。雨晴海岸から立山連峰をのぞむことができるのだ。いまでも常念岳とか薬師岳、燕岳、剱岳、穂高などの名峰をテレビでみるとOT君の快活な笑顔が浮かんでくる。
 
 中学時代の同窓生少人数の集まりで、同じ高校時代へ行っていた女性が、突然「ところで」と言うので皆注目した。「ところでO君、どこの中学やった?」。全員唖然としたけれど笑うに笑えない。こういうときクラスの人気者T君がいれば、「天然が高じてボケたんか」と言うだろう。
 
 帰宅翌日、OT君はブログに書いている。「おもしろかったもんね」と。ところでの彼女はそれから数ヶ月後の集いでもボケている。夕刻、駅で集合ということで早めに来ていたOT君に伴侶が語りかけた。「会場はO君に任せていると言ってた」。「え〜っ!」と彼は叫んだ。え〜がかなり長かったらしい。彼はあわてて走り去り、近場の「わらわら」という店を手配した。ところでの女性はOT君に言ったつもり。全員集合時に話が出ればよかった。残念である。
 
 ある日、死のにおいをかぎつけた死神を見たのだろうか、「残り少ない気がする」とつぶやいた。それからである、人生を謳歌するかのようにそれまで以上に活動的になったのは。しばらく遠ざかっていた運転も再開する。
遠近にかかわらず未踏の山野を歩いた。ワイン好きの彼は梅田のデパ地下でケースごと注文した。チリ産が多かったのは、日本と自由貿易協定を結んでいるのでワインの関税は無税だからと説明していた。
 
 高校時代の同窓生(女性)もハイキングにさそわれ、HMさん、伴侶などと同道している。「彼女とは奈良ホテルで食事しました。家内には内緒です」と彼は言った。外食に差をつけたのを奥方に知られたくないとの思いがあったのでは。奈良で会うと奥さんに伝えていても、食べるところまでは。
 
 蹴上の墓参り、HMさんの拝む番がくると、墓前でオーバーコートの前をパッと開いた。勢いあまったコートは腕をぬけ背後に落下する。そのありさまストリッパーだったという。奥さんも伴侶もびっくりしたらしい。「同窓会で着てた服、着てきたよ」とHMさんは墓に語りかけた。
 
 野鳥が好きだったOT君のハイキング倶楽部のペンネームはアカゲラ。ユーモラスな性質だった。いつだったか伴侶が何かの返礼に扇子を贈った。図柄はフクロウ。
大切に使っていたが、どこかでなくし、「お願いしにくいのですが」と言いつつ、「同じものをもう一度いただけないでしょうか」。買った店で調べてもらったが、品切れということだった。OT君は残念そうな顔をしていたそうである。
 
 死神が先に来るのは私だったはずだ。OT君の訃報に接して悲嘆が顔に出たのか、伴侶が、「先に行って、見晴らしのいい特等席を用意して待ってくれている」と言ったのでこみあげてきた。
見晴らしのいい場所で待つOT君の正直で明るい笑顔を思うと万感胸にせまったのだ。思い出のいっぱいつまった蹴上へ、OT君の墓へお詣りしよう。彼女ひとりのほうがよかったと言われるかもしれないけれど。
 
 
         OT君の小磯良平大賞展・佳作入選のお祝いに男2名女2名で会食した(2013年9月28日)芦屋山手倶楽部。
           下の写真の撮影日は同年11月15日。


前のページ 目次 次のページ