川面を眺めて自らの過ぎ来し方を顧みる、あるいは現在について、または将来のことを顧慮する、
それが私のWhere we areである。三昔前になろうか、「Where we were」なる映画の上映は。
当時の訳者は追憶と訳していた。うまい訳だと思った。現在より過去のほうが輝きも多いかわりに苦痛も
多いというもので、なんであれ創作に関わる者にとって題材となるのは現在よりむしろ過去であると思う。
 
川の水位が下がっても、過去を追慕すれば満々と水をたたえており、過ぎし日の川の緑は深い。
微妙なひかり、緑陰、空の色が川面に映ってさらに美しさをます。さやさやと流れることもあるし、
息切れした流れをみせることもあり、もだえるような吐息をもらすこともある、だから川は飽きない。
 
川の魅力については「Essay」の「フォアグラとトリュフ」に記したのでこれくらいに。
川縁にたたずんで、これからもWhere we areについて思索を巡らし、性懲りもなく
どこかに書き記していくことでしょう‥、心は川の流れ、元の川の水とは異なるのです。
画像の川はCotswoldsのスローターズにあるちいさな川で、フットパスを歩きながら撮影しました
アッパー・スローターズとローワー・スローターズを合わせて「スローターズ」と呼んでいるようです