私は戦後まもない頃の団塊の世代、いわゆる「生めよ増やせよ」の標語で知られるベビーブーム時代の一員である。昭和20年代前半〜後半はモノのない時代であったけれど、人情だけはあふれるほどあった。そういう関係で、モノの不足にはなれていても、人情の不足にはなれていない。数年前から徐々に適応しはじめていると自分では思っている、しかし、やはり心のどこかで不満の声が噴出しているように思う。人情はどこへ行ったのだ!
 
 癒しという造語は昔もあっただろうけれど、いまのように取り立ててもてはやされる類のものではなく、それというのも、人情が癒しなど心の世話をしてくれていたからである。わざわざ癒しを求めるための旅行の必要もなく、旅行はただの旅行なのであった。
 
 いまだにこういうことを言う人がいる、「海外旅行するなら首都はみておいたほうがよい」。そういう認識しかないから、ツアーといえば首都を入れる傾向がいまだにある‥帰国便の都合上とか買物は旅の終わりにパリ、ローマで、などという都合もあろうが‥いまさら首都でもあるまいに。
 
 首都はみておいたほうがいいとは、まるで出来の悪い小学校の教師みたいな言い草だと私は思っている。時間があれば、あるいは暇つぶしをしたいと思うなら、首都はみておいてもいいかもしれないと私なら言うところである。なぜなら、首都のほとんどは政治経済の中心地であることが多く、人間と車がひしめいていて、胸いっぱい排気ガスを吸わされ、喧噪と過剰が容赦なく襲いかかり、癒されるどころか疲れるだけのことだからである。
 
 大きな美術館は首都にあつまっていることが多い、目的がそういうことなら首都がよいだろう。物価も高く、観光客でごったがえしている首都滞在は、旅行ではなく仕事目的なら結構である。
 
 画像はプラハのマラー・ストラナ地区。首都にも例外があって、プラハ、リスボン、エディンバラ(スコットランドの首都)、ワルシャワなどは旅のメインにしてもよいように思う。