ヨーロッパなら、どんなちいさな町や村にも教会はある、そう思ってまず間違いはない。
そして教会は必ずといってよいほど町や村の中心にある。教会をみたらそこが中央なのだ。
ここでいう教会は教会であって、大聖堂もそのなかには含まれるが、修道院は含まれない。
修道院は町中ではなく、むしろ辺鄙な山奥にあることもあるからだ。無論、歴史上首都の
置かれた大都市にも修道院はあり、一概に辺鄙なところとはいえない面もあっておもしろい。
 
大都市には教会もいっぱいある。ちいさな町や村なら、だいたいひとつしかないので、
そこへ行くと、そこが町の中心部というのが分かるから都合がよい。むこうの町づくりは
まっさきに教会をつくって、それから家を建てた。一等地は教会と相場は決まっている。
中世からの経緯はともかく、私たち旅行者には分かりやすいことこの上ない。
教会の前は広場になっている。広場は告解のために設けられた。中世では告解が成人男女すべての義務とされ
(1215年ラテラノ会議)、M・フーコーはそれがヨーロッパの原点であるとさえいっている。
 
一年に一回、自らの犯した罪を教会広場で公衆の面前で告白する。これに背いた者はあの世で地獄におちる、
教会が公的にそう発表したのである。罪を告白した者は何年か巡礼の旅に出ねばならないが、その罪は巡礼
という代償を払うことで贖(あがな)われるのである。  
                                  
教会広場の現代的役割とでもいうべきか、朝市、土曜市、花市、なんとか市‥
と忙しいこと忙しいこと‥。Time is Money、それもよかろう、活気があって。
中世の告解広場はみての通り、花市広場に様変わりましてござります。