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全室の照明はこの夜のみ。宝怎zテル(阪急グループ)の親会社はしみったれです。
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照明をケチるとこういう塩梅。
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2019年9月中旬に買った鉢植の桔梗を伴侶が別の鉢に植え替え、冬も春も越して、
2020年6月23日に開花させました。
ツボミが10個あるので、それも開きなさいと毎日伴侶がキキョウに言いきかせています。
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7月5日。またひとつ枯れましたが、徐々に増えています。 いちばん下の花はしおれ気味。
日ごと夜ごと、ツボミがふくらんでいくのがわかります。
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通販で買った某果物店&菓子店のフルーツゼリー。
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最近(6月半ば)、3密のすき間をぬって百均で買ったこの子たちが占領。
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気の早い子は桃を食べました。たらいの舟にしてくれとせがまれて。
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この子たちは順番待ち。
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左は妹。後列は両親。父は母の弁当攻撃に負けて結婚。弁当は使用人につくらせたと思う。
子どものころ祖父がニワトリを20羽飼っており、おいしい卵を産ませるための
ニワトリ散歩は小生の仕事。卵採取もやった。まともに仕事したのは恐らくそのころだけ。
ニワトリのなかにはわがままなのが数羽いる。小屋から出ろと言っても出てこない、
歩けと命令しても動かない。棒でけしかけると勢いよく羽ばたき、
短パン少年の足を打つ。痛いと叫ぶと嬉しいのか、宙高く飛びやがる。
祖父はヤギの乳が胃にやさしいからとヤギも飼っていました。
小屋に仕切り板を設けて、ニワトリとヤギに分け、扉は別々。ヤギは扉を開けても逃げませんが、
ニワトリは飛び出す。
小屋外側に金網を張り、エサ台に飼料をまいたような記憶が。ヤギ小屋に炭俵も置いていました。
畑の果物で忘れられない味はビワとイチジク。祖父は疎開先の宮崎県で農業をおぼえました。
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次に子ができたら養子にもらいたいという人がいたそうです。
3歳だった小生は母から話を聞いて怒り、反対したらしい。
小生は幼少から匂いに敏感でした。祖父は四季の花を畑で育てており、
玄関先にはプランターで色とりどりのアサガオも栽培していました。
アサガオの匂いは幽か。しかも、朝の数分か10数分だけ匂う。
花弁に鼻を近づけて匂いをかぎます。
花の色によって匂いは微妙にちがう。アサガオは子どもの密かな愉しみでした。
撮影直前に兄妹喧嘩をしました。兄、妹の顔はそのせいです。
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左は伴侶の姉。伴侶の実家は大阪府立北野高校のほとんど利用されない正門の
近くにありました。生徒が登下校に使うのは正門反対側の通用門。
伴侶の実家は17年前に取り壊され、現在は賃貸住宅になっています。
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伴侶です。
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右の子ども、どう見ても男の子。翌年、伴侶の弟が誕生。
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伴侶の姉、伴侶の弟。下敷きになっているのに嬉しそうな伴侶。
弟の顔、上の女の子の顔と似ていませんか。
伴侶の姉とは中学2年、高校1年とクラスが同じ。
姉のおてんばでおっちょこちょいなところ、似なくてよかった。
姉の生態は、「うすくち手帖」2019年10月10日「ハロウィーンやって来た」
で詳しく述べています。
伴侶の歯、抜けています。
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上の写真とほぼ同時期の小学校1年生とは思えない伴侶。
「お駒恋姿」の歌詞は、「七つ八つから器量よし 十九二十で帯解けて
解けて結んだ恋衣」。歌詞の意味をまったく知らず踊っていた。
日舞は中学1年になって卓球部に入るまでつづけたそうです。
日舞の師匠から教わったのは踊りだけではありません。
着物の着方、たたみ方も学びました。
6年間みっちり身体でおぼえたことは忘れない。その後、伴侶は
着付師がいなくても自分ひとりで着物を着られるようになりました。
長唄「菖蒲(あやめ)浴衣」(五月雨)は「思い出写真館」をご覧ください。
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伴侶の姉 中学2年。年増。
常磐津「年増」の歌詞は、「花ぐもりから本当の 雨に嬉しき朝直し しっぽり濡れた夜具のうち
どうやら訳のあくる日は よそへ送りをかこつけに 体を買ってつきとめた」。
「訳のあくる日」は翌日、「かこつけ」は駕籠の掛詞。耳年増だった彼女は歌詞の意味を
理解しておられたでしょう。
幼いころから盆踊りが大好きで、盆踊りと聞いたらどこへでも踊りにいった伴侶の姉が、
そのままだと盆踊りにつきものの香具師と所帯を持つかもしれないと危惧した親のすすめで
日舞を習いはじめたのは小学4年か5年のころ。妹も姉と一緒に習いはじめました。
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1963年7月に開通した名神高速道路のパーキングエリアかサービスエリアの出口付近。
開通後まもない夏休み、ドライブに連れていってもらいました。
こういうポーズになったのは、リクエストか機転なのか、よくおぼえていないそうです。
卓球部の前は足がこんなに細かった。小枝かピノキオみたいな折れそうな足。
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左から2番目の小生は30歳前後。このころ大師匠(右端)の代わりとして「ならまち」へ、三条芸者の出稽古に
行っていた若師匠(右から2番目 小生より1歳年下)は「うすくち手帖」2020年4月28日「伯母のタラの芽」に登場。
大師匠の弟子のひとり川太郎は三条きっての芸妓で、わたしたち一家が主賓の大師匠肝煎りの「菊水楼」宴席
にはべってくれました。
若師匠の弟子のひとり菊乃さんは「菊乃の かわいい奈良」というブログをやっていました。たぶんいまも現役かと。
若師匠は母の師匠でもあり、私たち一家と長く深い交誼で結ばれ、頻繁に国内旅行や香港の旅を共にしました。
妹の結婚相手が決まったと若師匠に話したら真っ青になって、「チコさんはわたしのお嫁さんになると思ってました」
とおっしゃり、小生は真っ青になりました。
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バレンシアの火祭りを見る数日前。スペインのどこかの街。
巣ごもりで自分を見直せると思いのほか、日々追懐モードに突入し、ひとつ思い出せばまたひとつ。
学生時代の同好会の後輩とメールをやりとりして、「東名高速、渋谷、鳥取、高校」という共通語によって
感慨は深まり、クロスワードパズルの枡目が少しずつ埋まっていきました。
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