2022/11/03    日没 タフティ・サファール

 
 記憶力がおとろえ、思い出せないことが多くなって何年たったろう。2年前から直近の出来事も思い出せず、昨晩何を食べたのか伴侶に時々問い、このままではすまされないと発起し、去年の12月から小さなノートに夕飯の献立を記しはじめた。
 
 21年前に起ちあげたホームページは、そのころは考えもしなかったが、70年の記憶の累積ノートになっている。思い出したくても思い出せないことを調べるための分厚い手帖。
ところが思いついたことを書きなぐってきたせいか記憶が錯綜し、特に2005年から2018年にかけて記した「書き句け庫」はタイトルと内容がちぐはぐなので目当ての場所に行きつけない。
 
 テレビの旅番組や映画でステキな風景、とりわけ夕景をみると1972年10月に旅したアフガニスタンの記憶がよみがえる。
タフティ・サファール(旅人の玉座)はアフガニスタン西方ヘラート郊外の丘にある石段式大庭園で、ここからヘラートの町全体とその向こうにある山影を見渡せる。
 
 マザリシャリフを発ちヘラートに着いた日、「金曜日のモスク」と「エクティヤルディーン城跡」を見学。町で一番大きなホテルだと年老いたベルボーイが自慢げに言うヘラート・ホテルにはベルボーイは一人しかおらず、ベルキャプテンも兼ねている。
 
 翌朝チップを渡そうとしたのだけれど頑なに拒む。近くに美味い茶を飲ませるチャイハナがあるので、その金でチャイを飲みなさいと老ベルキャプテンは勧める。ホテルから外に出るとヒマそうな顔をした馬と、人待ち顔の馭者(ぎょしゃ)がいて、小生の顔を見るなり、「ヤポネ、モスク」と甲高い声を発した。
 
 モスクは見たと言うと、ペルシャ語の方言ダーリ語で何か言っている。小生が「ヘラート」と言って両手で楕円を描き、ヘラート周辺という意味で楕円をなぞると通じたのかうなづくき、「10アフガニー」と叫ぶ。1アフガニーは5円、チャイは2アフガニー。どこへ行くのか不明のまま馬車に乗り、20分くらい走って連れていかれたのが上の画像。それからどうしたか忘れた。
 
 夕方、ホテルから10数キロ離れたタフティ・サファールへ向かう。さえぎるものは何もなく、町の遠景が薄闇のなかにすっぽりはまっている。遠くにぼんやり見えるのはヒンズークシ山脈だったかもしれない。壮大な夕景、リンゴのように赤い空。衣類も肌も髪まで真っ赤に染めずにはおかない夕日と空気の強引さ。旅人の玉座と呼ぶにふさわしい。
 
 うしろを振り返ると、透きとおった水色の空に煌々と輝く半月が見えた。これがアイハヌム(花嫁の月)なのだった。新鮮でなまめかしい月は若い女の太ももを連想させた。
夕日が彼方の山影に沈もうとしている。あとは任せるといわんばかりの日没。暗闇がせまっていても欲望を満たすことはできない。そこがよかった。感性をみがくことはできるのだ。日没の記憶は50年後のいまも鮮明に残っている。
 
☆タフティ・サファールに関する書は日本では見当たりません。1972年カーブルで買った「AFGHANISTAN」(Nancy Hatch Dupree著)に「TAKHT-I-SAFAR THE TRAVELLER'S THRONE」として4行紹介されています。
A・トインビー著作集7の「歴史紀行」(社会思想社)の「ヘラート」にタフティ・サファールは「タクト・イ・サファル」と記されていますが、正確な地名とはいえません☆

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