2022/08/27    掃除当番
 
 昭和30年代初め、小学生低学年のころの学校での記憶はほとんど残っておらず、高学年になって掃除当番が回ってくると暗い気分になった。掃除自体がイヤなのではなく、掃除は放課後おこなうので、家に帰ってカバンを放り投げ遊ぶに出るのがおそくなる。特に11月から2月にかけての掃除当番はパスしたい。
 
 そのころの教室の床は天然木で、古いが頑丈そうだった。最初はホウキを使ってゴミを掃き集めチリトリに入れて捨てる。ホウキの素材はわからないがシュロではなく、かたくて粗かった。
ふき掃除は雑巾を使って床をふく。雑巾は真っ黒け。バケツの水で洗ってしぼる。床をふいたらまた新しい水をバケツにはり、雑巾をしぼる。これを何度かくりかえす。バケツの水の汚れが薄くなると作業終了。バケツもチリトリもブリキ(メッキ亜鉛)。
 
 小学校4年のころだったか同級生の女子が、「井上くん、ふき掃除はいいよ。バケツの水だけかえてくれれば。水専門がいれば早くすむし」と言う。掃除当番全員が早く帰宅できるのはいいことだ。
女子は垣本さんといって、男子より体格がよく、腕っぷしも強そうだった。彼女のおかげで水くみに回れた。ほかの女子の名前や顔は忘れたけれど、垣本さんはおぼえている。
 
 ふき掃除で映画館や食堂で使っているモップがあれば楽、学校にも早く導入されればいいと思っていた。小学5年か6年のときモップが来た。ふき掃除は楽になったけれど、モップを洗ってしぼるのがタイヘン。
どうやってしぼったのか思い出せない。伴侶は、しぼる(水を取る?)道具があって、それを使ってしぼったと言う。学年が4つ下だし、伴侶は大阪市内の都会小学校だからそういうモノがあったのだろう。
 
 中学2年の二学期が始まる前、夏休みに転校した。小学校時代からの友人には知らせたような気はするが、中学の級友に知らせなかったと思う。二学期になって突然消えた生徒を探す者もいなかった。
 
 冬休みが近づいたある日、誰かが訪ねてきた。お手伝いさんが、「小学校のお友だちです。女の子ですよ」と言う。小学校時代の女子はいっぱいいる。ドッジボール仲間、縄跳び仲間。訪問者はそうした遊び仲間ではなく垣本さん。
 
 顔を見るなり「転校、知らなかった」と言った。中学になってクラスが違うと会えなくなる。校外でも出会わないまま数年経過していた。身体は細めになり、でもパワフルな感じは変わらなかった。何を話したのかおぼえていない。
昭和も30年代に入ると、都市部の小学生女子に微妙な変化があらわれる。早くおとなになっておとなのすることをしたいと思う女子が少数出てきた。垣本さんはそういう女子と一線を劃し、子どもらしくない気骨と落ち着きをそなえていた。
 
 掃除当番は4〜5人一組だったのに、ほかのメンバーのことは忘れている。発言力のある垣本さんのことばに異を唱える者はいなかった。小学生のころは女子が強い。21世紀では小学生から大学生まで女子が強い。
元来小生は押しの強い人は苦手で極力避けているが、大柄なのに動作が俊敏で、キリっとして、ここぞいうところで指図する垣本さんは苦手でなく好感を持った。ふき掃除免除の特権を与えてくれたからなおさら。
 
 昭和40年代以降、学校事情も掃除界もさまがわりした。小学校の思い出は、自宅での出来事のほかには運動場で遊んだこと、帰宅して原っぱで野球をやったこと、掃除当番だけになってしまった。

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