2022/08/06    かるた
 
 子どものころの室内遊びで思い出すのはすごろく、かるた取り。長らくしていなかった「かるた取り」は1992年夏に復活し、同年8月上旬、鳥取県大山へ持っていきました。大山行きは小生のファミリー計7名とチエちゃん母子などの計10名。
 
 当時、伴侶はアトピー性皮膚炎が重症化し、甲田光雄先生の紹介で断食。甲田療法です。断食の家に2年寝泊まりしていました。断食の前後はおもゆ、数日後おもゆプラス青ジュース、その後おもゆプラス黒ゴマペーストをかけた豆腐、そしてまた断食をくりかえします。
 
 甲田療法の前にさまざまな治療を試みました。薬物は塗り薬の主たる成分が副腎皮質ホルモンで、かなり効き目があるのですが、1年以上使っていると副作用で劇薬となります。そういうことは一般的に解明されておらず、伴侶は結局、副作用に悩まされ、数年のあいだ札幌、東京、大阪などいくつもの療法を探し歩いて試みましたが効果なし。最後に行きついたのが甲田先生でした。
 
 脇道からもどります。小生の車の後部座席にチエちゃん母子が同乗。中国自動車道〜米子自動車道をへて約3時間半の車中、3人でしりとり遊び。
チエちゃんのクチから飛び出したのは、大乃国、北勝海、逆鉾、寺尾、黒姫山など関取ばかり。聞き慣れない名もありました。「そんな相撲取りいるの?苦しまぎれにつくったのでは」と言うと、母親が「いますよ」とこたえる。
 
 3歳からの数年、伯父さん(母方)が大相撲テレビ観戦しているとき一緒にみていたらしい。幼女の大相撲観戦は意外。その夜、ホテル8階レストランで夕食。最後の一品フォアグラ丼だけおぼえています。
食後、母ともう一人をのぞく7名プラス1名(5歳=妹の子)がホテルの一室で英語のかるた取りをやりました。カルタには絵と文字が印刷されている。それまで2回か3回やったことがあり、最初は英語名がわからなかった8歳のチエちゃんも2回目は完全マスターした。
 
 スパロー、スワロー、スネイク、スネイルなどまぎらわしいものも混じっています。ナップは鼻からグースカ・ピースカの寝息が出ている絵、スリープはベッドで眠っている絵。ランチ、サンドイッチもありました。5歳の子でもわかるのはライオン、タイガー、カンガルー。エレファントやゼブラもすぐおぼえました。
 
 ベッドの上にトランプ100枚を並べ、参加者は自室から持ち運んだイスをベッドにくっつけて座る(イスは各部屋2つあった)。4歳の男の子は手が届かないのでベッドに座ります。おとなでも手の届く範囲は限られているので遠くのかるたはダイビング。たまにはぶつかる。かるたの読み手は常に小生。さりげなくかるたを見て発音。
 
 チエちゃんは、エレファントやバタフライは、エレとかバタで素早く手が伸び、100枚のうち50枚くらい取ってしまう。25〜30枚はどこにあるかおぼえているからダイビングも取るのも早い。残りを6名が分け合いますが、若い順に枚数は多い。弟の嫁は小生の妹よりひとまわり下なので多かった。それでも20枚いかない。
 
 男の子は3枚くらいしか取れず、2回目からライオン、タイガーなど動物を自分の手元に集めます。「カズくん、ずるはダメ」と誰かが言うと、ニチャっと笑う。ハンデを与えてもいいと読み手が許可。引き寄せた絵を読んだときの手の早いこと。
 
 かるたに夢中になっているときカズくんが消えました。落ちた瞬間は誰も気づかず、カーペットにひっくり返った。だいじょうぶ?痛かった?との声に、痛くないはずはないでしょうが、黙ってベッドに上がりニチャっと笑う。
 
 そんな話を断食の家にいる伴侶にしました。カズくんは泣かない子。唯一泣いたのは、母の家に集まった日、夕食後具合がわるくなった妹が救急車で運ばれたとき。火がついたように泣くカズくんを抱っこし、伴侶は立ったまま小1時間、泣き疲れて眠るまであやし続けた。1歳になるかならないかでした。
 
 2歳半で初めて京阪神を訪れ、9歳で京阪神に引っ越し、われわれ夫婦から愛され、かるた取りに目を輝かしていたチエちゃん。幼いころから宝恷s平井山荘の高台にある家から双眼鏡で鳥を観察し、生のウィンナソーセージをつまみ食いし、小生の母が松竹座に連れて行き、女形が花道を通ったとき「オカマか」とクチ走り、観客を笑わせたカズくん。
 
 20世紀は思い出の世紀。下の画像は2代目カルタ。懐かしくなって最近購入しました。未使用です。
 
  
    英語のかるた。2代目。2代目にはスパロー、スワローやスネーク、スネイルはありません。100枚の一部。


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