2022/07/30    からけし
 
 真夏なのにたき火もないでしょうが、いま書いておかないと忘れます。書けなくなる状況に陥るかもしれません。
 
 11月から12月にかけてミカンが送られてきました。ミカンは当時ダンボールではなく木箱に入っていました。フタ付きの密閉型や、木片と木片にすき間のあるフタなし木箱などさまざまで、立派で頑丈なミカン箱を机代わりにした家庭もありました。
 
 ミカンの木箱は二つくらいモノ入れ用に取っておきますが、多くは解体して燃やす。そこでたき火です。ミカン箱はクギでとめられている。祖父も父もクギぬきを器用に使ってサッとぬきました。クギの周囲の板をクギぬきのカドで叩き、クギを浮かしてぬく。
 
 たき火で燃えた木々の切れっ端が完全に鎮火した後、火ばさみで取りあげ四角いブリキ缶に入れておく。火鉢で炭をおこすとき、空気穴の多い「からけし」を燃やし、その火で炭に着火、息を吹きかけると炭がおこります。
 
 単純ですが子どもにとってはおもしろい。火鉢のなかの作業なので危険度は低く、やりたそうにしている孫の顔色を読んだ祖父は時々やらせてくれました。
 
 たき火をすると近所の子が集まってくる。たき火は主に日曜、父が家の前の小さな広場でみかん箱、かき集めた枝や枯葉を燃やします。サツマイモを持ってくる子どもがいて火に入れる。
父が「そろそろいいよ」と言う。黒焦げなのだけれど中身はほくほく。小生は当時、焼きいもを食べると胸焼けしました。
 
 いも類で食べるのは主に鳥取の親戚から送ってくるホシイモ。そのまま食べるのではなく火鉢に餅網をかけて炭火であぶる。そのほうが香ばしいし、甘味も増す。たき火、からけし、ホシイモの話になると伴侶が、「いい時代に生まれてきてよかったね」。昭和30年代後半から昭和40年代後半の公害がなければもっといい時代になったと思います。
 
 伴侶のからけし作りは、「(燃え残る木片を)水を張ったバケツ(金属製)に入れた」そうです。そのほうが手っ取り早いし、「ジューっ」という消火音がおもしろかったからです。
わが家のからけし収納場所は勝手口の床下でした。小さめの俵を半分にして「からけし」をしまう。必要なときに適宜取り出します。たき火で毎週からけしができるので少量を備蓄。
 
 季節がはっきりしていて、真夏の夕立がやむと涼しくなり、お盆が終われば朝晩しのぎやすく、彼岸過ぎには秋が来た昭和27年ごろから30年代半ばまでが懐かしい。思い出がいっぱい詰まっています。おたふく風邪、水疱瘡など病気はしたけれど、扁桃腺が弱かったので高熱も出したけれど未来がありました。
 
 からけしを知っている世代。同じことをくり返す日々、かわりばえしない夫婦の会話。伴侶に「ツメ切りの英語は?」と聞かれ、「ネイル・カッター」と言うと、「ぶーっ!、ネイル・クリッパーズ」と愉しそうに笑う。螺旋階段も間違えました。変わらないから懐かしいのです。
 
 (上の写真、ゲタをはいています。ズボンのポケットに何を入れたのか思い出せません)

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