2022/05/15    昭和前期 子どもの遊び
 
 戦後まもない時代(昭和20〜23年)はまだ映画館は多くなかったと思います。庶民の娯楽「映画」が全国でみられるようになった昭和24年に生まれた小生は、昭和30年代の初め、ほかの映画好きの子どもと同じ東映時代劇の申し子みたいに映画館に行きました。
子どもの遊びは缶けり、下駄隠しなどあったけれど、一番熱中したのはチャンバラごっこでした。一般家庭にテレビが普及していなかったころの話です。伴侶の実家には昭和29年すでにテレビがあったそうで、ということはテレビが市販されてすぐ買ったということです。
 
 それで伴侶がテレビの影響を受けたかというとそうではなく、東映時代劇をみに映画館へ行くのが楽しみ。2歳になった女の子が熱中したのはチャンバラ。小さすぎて男の子の仲間に入れてもらえない彼女は母親の前で「エイっ、ヤー」。父親の買った刀を振り回していました。
 
 チャンバラに使われるのはおおむね細竹や枯れ枝。枯れ枝は樹木の下に落下しているか、その辺に棄てられているボロ枝、もしくは大工が置き去りにした木材の切れっ端。
細竹は畑の囲いになっているものを切るか引っこ抜く。単独でそういう粗っぽいことはできないので祖父の手助けが要る。近所の悪童はどのように調達したのか不明。
 
 チャンバラごっこのルールには無言の子ども協定があって、本気で斬ろうと全身に力を入れてはなりません。本気にみせかけて斬ったふり、斬られたふりをする。木製の刀は浪人の竹光、気持ちだけホンモノ、恰好を整えればよい。竹と竹、木と木が打つ音になんとなく臨場感がただよう。
 
 チャンバラは芝居の殺陣と同じで、互いが相手の動きに合わせて動く。相手の動きを観察して瞬時に動かねばなりません。読めない子どもはケガをする確率が増す。たまに本気で力いっぱい斬りかかる子もいます。それでどうなるかというと、危害を加えるおそれのある子はつまはじきです。
 
 3〜4人に取り囲まれたときは奥の手を使う。短パンのポケットに隠し持っていた水鉄砲を出して撃つと、当たった子は「う〜ん」とうめき声を上げ、「飛び道具とは卑怯な」と言う。ほかの子もひるんで後ずさりする。
 
 映画館でみたチャンバラで模倣をするのはシリーズものの有名剣士。宮本武蔵は実在の剣豪。示現流の葵新吾、甲源一刀流の机竜之介は創作剣士でしたが、人物にも魅了されました。有名剣士には強い挑戦者が果たし状を送って真剣勝負。なにしろ子どもです、どちらが勝つかわかっていても手に汗握る。
 
 当初は有名剣士のマネをしても、一ヶ月もたたないうちに子どもは独自の剣法をあみだす。新剣法がサマになっていればマネする子もいるけれど、ヘタなら笑われる。
ところがそこが子どもで、見た目にヘンでも容認する。ヘタはお互いさまなのです。夕方、人のいない空き地で稽古に励むすがたを近所のおばさんに見られることもありました。
 
 学生時代から現在までの出来事はほとんど思い出せず、自分のホームページを開いて再読確認するというありさまです。数年前までは記憶が確かだったので、忘れる前に書いておいてよかった。
記憶に焼き付いて消えないのは子ども時代の自分と近所の風景。イヤなことより楽しかったことのほうを沢山おぼえているのはなぜなのか、よくわからない。
 
 みるべきものが少なくなったテレビの教養番組や美術館などの展示会を、知識を増やしたり、脳を活性化するため習慣的にみて、同種の人々にあなどられまいと肩をそびやかす都会型人間はそれなりにしあわせなのだと思います。夏の防寒着のような知識偏重がバカバカしくなって20年以上経過し、テレビが本領を発揮するのはドキュメンタリー番組であるという思いが強くなり、古き単純な時代を懐かしむ気持ちはますます深まっていきます。
 
          2022年5月10日毎日新聞夕刊京阪神版 昭和30年5月5日に大阪市内で撮影された一枚。


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