2022/03/20    懐かしき友よ
 
 昭和43年から45年にかけて大阪府下のカトリック系女子高に伴侶が通っていたころ、ハムは同級生でした。明るくイタズラ好き。授業中、ゲルマン民族大移動だと小声で言うから何のことかといえば、教師が黒板に字を書いているあいだに席を入れかわるのです。
 
 着物姿にハカマをはいている昔気質の女教師で、見つかると猛スピードでチョークが飛んでくる。一瞬で入れかわらないと見つかるので汗が流れました。「Mr.ビーン」にそういうコントがあります。
ハムはノートの切れっ端に似顔絵を描いて机に置く。たまに黒板に描いても、教師も生徒も自分よりちょっと美人に描くので怒りません。ハカマ教師の似顔絵は描かなかった。冗談が通じる相手ではない。
 
 生徒用下駄箱の上履きに土を入れ、雑草まで置いて隅で見ていたら、同級生の湯沢さんが下駄箱を開け、「こんなことするのはハムしかいないでしょう」とやさしい声を発し、ちっとも不快な顔をせず陽気に笑う。一本取られたね。
 
 ハムもピーター・グレイブス、マーティン・ランドーなどの「スパイ大作戦」を毎週みていた。教室で声色を使って「フェルプス君、今回のミッションは」と言い、そのあと「おしとねじゃ」と続ける。「大奥」(関西テレビ)で大奥を仕切る女性が将軍側室に指示するシーン。最初の「大奥」は女優陣が豪華。
 
 ずる休みしてテレビの公開番組に参加するためサンケイホールへ。自分たちの映像が録画され、放送されたらどうしようと気をもみました。よその女子高で発覚し停学になった子もいる。
1週間後、本放送のテレビをみたら伴侶たち3名が画面に出てきました。でも一瞬だったのでだいじょうぶと思い、その後発覚せずにすんだ。ハムと伴侶が通っていた私立女子高の校則は厳しく、露見していれば厳重注意か停学だったかもしれません。
 
 漫画、イラストを描くだけでなく手芸、人形作りも得意で、個性的な人形をプレゼントしてくれました。高校卒業時に車の免許を取り、運転も上手。ハムの大学は竜安寺の近くにあり、時々父親の車で通学していると言ったから、キャンパス見学がてら衣笠山まで乗っていきました。
 
 大学在学中は梅田の店舗や松下電器のショールーム、阪急百貨店などで一緒にアルバイトし、何度かの国内旅行も。ほかの誰よりも行動を共にしました。阪急百貨店のバイトはチーズドッグの店で、ハムはチーズの代わりに近場の店舗でもらった餡を入れて食べ、伴侶もつきあいました。
ハムの由来はと聞くと、最初はタム(本名の一部)だったけど、ボンレスハムみたいにちょっと太り気味だったからかなとハム言っていたけれど、スタイルはわるくない。
 
 ある日ハムと並んで歩いていると、いきなり横から体当たりされた伴侶はそのままストンと店舗内へ入り込み、店内の人たちにジロリと見られ顔から火が出たそうです。ハムはさっと走って姿をくらます。
 
 大学3年になり、本人曰く、食べ過ぎがたたって少し太りだした。ぜんぜんそんなことないのに本人は気になったみたいで、当時「ミコのカロリーBook」(弘田三枝子)が出版され、早速買った。カロリー制限して前よりやせました。
 
 大学4年のころ通学電車内で知り合った同い年の学生とお互い顔を知っているだけでしたが、旧財閥系金融機関に就職した彼女と事務機器大手メーカーに入社した彼はまた電車内で会った。同じ時間帯と車両がとりもつ縁。
しばらくして交流が始まりゴールイン。新婚時、夫婦は横浜市保土ケ谷区に住み、その後まもなく龍ケ崎に土地を買い、家を建てます。
 
 ハムと伴侶は互いの結婚披露宴に出席し、披露宴会場の駅からハムの自宅へ私鉄で25分。披露宴後、大阪市北区堂山町の料亭「北乃大和」でおこなわれた宴席(和室)にも出てくれました。男性3名、女性2名。
女性はハムと伴侶、男性は四国の坊ちゃん、池袋のMYさん。MYさんは勤務先の出張で来阪、披露宴は欠席で宴席のみ。坊ちゃんもMYさんも屈託がなく良い人で、ハムもうちとけやすかったかもしれません。
 
 昭和57年11月でした。あれから40年もたって、坊ちゃんは自家散髪でスキンヘッド、MYさんは中年女性数名の世話をしているらしく、最近引っ越して彼女たちに片付けを手伝ってもらった。ハムとは30年近く年賀状の交流が続いていましたが、この2月ひょんなことから連絡を取り合うようになり、夜の電話で雑談。
 
 配偶者の話になり、ハムのご主人は定年退職後、お酒をのむ時間が増え心配と言っていました。「坊ちゃんに較べれば酒量はぜんぜん少ないよ、ハムにそう言えば」と小生。「坊ちゃんなんてハムは知らない。美男だったらおぼえているかもしれないけど」と伴侶。
 
 「井上さんはやさしいから」とハムは言います。そういうも部分もなくはないが、そのとき伴侶は、主人はわがままで身勝手な人だと言えなかったので、今度そういう話題になったら言う予定。
 
 高校時代のハムは男っぽいところがあり、「おしとねじゃ」もそれです。アルバイト先で、「あの人、さっちゃん(伴侶のニックネーム)に気がある」と言っていました。ある日、伴侶の自宅郵便受けに手紙が入っていて、差出人はその男性名。すぐわかるのにいたずらします。
 
 2月14日、ハムにチョコレートを送りました。そして3月14日、ハムからステキな花束が届いた。いくつになっても男みたい。交流が続くかどうかわかりません。子育ては昔に終わっていても、長期間会っていないのと加齢、コロナが行く手を阻む。ハム、それでも会いたいね。できるだけ早く。
 
 
 桜の季節が近づき思い出すのはOT君。中学3年のころ伴侶の同級生OT君と再会したのは40年もたってからで、3年3組の同窓会。OT君は父親から相続した賃貸マンション数棟(梅田から徒歩約10分)の大家で、経営のかたわら趣味のアクリル画と山歩きに専念する。
いまはもうありませんが、ハイキング倶楽部やまなみの活動は真夏を除いてほぼ毎週日曜おこなわれており、25人前後、多いときは30人以上が参加。奥方もハイキング好きで、彼が行けない日も歩いていました。
 
 倶楽部のハイキングの模様や、OT君の日常の一部は彼がブログをやりはじめてから画像入りで紹介され、同窓会で再会したOT君が伴侶に知らせてくれて、ブログを毎日見ながら楽しそうに笑っているので、小生も見はじめた。OT君についての話題を共有し、会ったこともないのに旧来の友のように思えました。
 
 京都御所の北にある大学出身の彼は京都に詳しく、みるからに朗らかで人柄のよさを感じる風貌。伴侶の話と彼のブログから庶民的で気取らない日常が見えてくる。伴侶が言うには、「OT君はハイキングのあとみんなでのむ一杯が楽しみで行くのかもしれない」。のむとさらに朗らかになるそうです。
 
 誘われて何度かハイキングに参加した伴侶は彼の奥方とも仲がよく、山道を歩きながら語り合うこともありました。OT君の還暦祝いに招かれ、獅子の人形を贈りました。酔いが回ってご機嫌のOT君が出席者のひとりに「よく似てる」と言うのだけれど、笑うに笑えない。その方、獅子そっくりでした。
 
 神戸博のコンパニオンをやっていたころの仲間が、大阪のホテルで唐津焼の展示販売をおこなうと案内状を送ってきました。OT君も約10年間陶磁器の販売をやっていたので連絡すると、行きたいとのことでした。
伴侶はおつきあいで1万円弱の湯飲みを買い、OT君に「買わなくていいよ」と言ったのですが、彼は、「以前からこんなの欲しかった」と言って数万円のコーヒーカップを買った。小生は感心しました。男気を感じたのです。
 
 ブログの文章や伴侶の話でOT君の感性が豊かであると知っていました。中学時代の同窓会でワイングラス片手にほほえむ姿は、つくらない笑顔はこんなにも多くのことを語るのかと思うほどさまになっていたのです。そして、やさしさ、茶目っ気、人柄のよさ、迅速な対応。
 
 2018年晩秋、OT君は星になってしまった。小生がしょんぼりしていたら伴侶が、「見晴らしのいい特等席を用意して待ってくれている」と言ったので涙があふれました。
2019年晩秋、OT君の奥方、3年3組の同級生(女性)、伴侶は奥方の案内で京都にあるOT君のお墓参りをします。
 
 山歩きの番組や、「京都人の密かな愉しみ」(常盤貴子、団時焉A銀粉蝶、深水元基)をみるたびに私たちはOT君の思い出話にふけります。桜のシーンはなおさら。「京都人」はこの3年間でBDダビング映像を何度みたかおぼえていないほどくり返しみました。
団時烽ェ市内を一望した将軍塚青龍殿へ2021年4月初旬花見に行き、見晴らしのいい高台からOT君のお墓の方向を眺める。
 
 昔も今も「みんなのさっちゃん」。伴侶は人の気持ちをよく理解し、人を思いやるから慕われるのでしょう。きょうも楽しい一日にしようと日々過ごす「さっちゃん」の姿勢は、40年後の現在もまったく変わらない。懐かしき友よ、また会う日まで。
 
 
        20代のハム(左)と伴侶。シャッターは通行人にお願いしました。ハムはベレー帽かぶって澄まし顔。


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