2021/12/24    散華
 
 2018年12月8日、14回目庭園班OB会(古美術研究会)が京都の料理屋で開かれ、二次会は市内のホテルのバーでおこなわれた。一次会の席上小生は自分の高血圧を長々と、そしてA君と四国の坊ちゃんがOB会にもたらした功績について簡潔に話した。こんな話をすべきではないと思いながら向かい側に座る方たちの顔を見た。
 
 神妙な面持ちで聞いていたのがU君だった。お開きになったとき、同期のHJはいつになく心配そうに近寄ってくれた。持病のある人、あるいは経験者は実感としてわかっている。
小生にとって今回が最後のOB会になる。洗いざらいではなくても、話せることは話そう。力を入れすぎてかえってよくなかったけれど悔いはない。
 
 二次会で同じテーブルにU君、KY君などがいた。そのときの模様は「書き句け庫」2018年12月10日「花ざかり」に書き記した。学生時代、庭園班の夏合宿を京都でやり、お寺の庭を見学した帰り道、もしくは中休みに卓囲みをしたことを話したら、KT君が「私たちもしましたよ」と。チーフのU君が後輩を囲い込んだのだ。
 
 KT君から2021年12月24日届いたメールに、「先輩、同期、後輩に恵まれ、また個人的にはお酒、麻雀、競馬など色々なことを教わり」と書かれていた。教えたのは誰かいうまでもない。同日のほぼ同時刻、別行動の人々は合宿に参加せずそれだけのために来た小生と京都御所南で待ちあわせ、D大学の近くで卓を囲んだ。
 
 真面目な印象と小生が勝手に思い込んでいたU君はそれから47年後の夜の京都で突然KY君に向かって、「上品できれいな人だったねえ、NHさんは。さすがKY君の相手だ」と言う。
隣のKY君が、「いや、そういう間柄ではなく」と言いかけたのを制止し、「いや、そういう間柄だよ。乗馬かぁ、さすがだ。乗馬はいいねえ。私もねぇ‥」。そこで真ん前にいたKT君が口を開く。
 
 「Uさんは乗馬とちがうじゃないですか。競馬ですよ。合宿中に場外馬券場(祇園)へ行って買っていましたよ」。U君はすっかりできあがっているせいかKT君のことばなど耳に入らない。
二次会の実況は帰宅後数日以内に記録しなければ忘れる。3年後のいまなら会話の内容はおぼえていないと思う。乗馬クラブにも入部していたNHさんは明るく、颯爽としてスタイル抜群、カッコいい女性。そういうことはおぼえているものである。
 
 学生時代経験したことでU君に感謝していることがあった。或る人物(U君より1年先輩 彫刻班在籍)が小生を排斥するかのように庭園班に干渉してきたとき、U君は「他班のことに口出ししないでください」と言ったそうだ。
本人からではなくU君の同期MY君から聞いた。12月8日二次会で観客の多いなか、どさくさまぎれに「感謝している」とU君に言った。
 
 U君が何と言ったのかウロ覚えだ。テレビ局社長だったU君は、「社内でさまざまな圧力がありました」というようなことを語っていたと記憶している。
 
 「井上さんといえば女性」と言っていたU君は、小生が「私は女嫌いだ」と言うと「ウソ〜」と呆れていた。周囲の人たちは、女嫌いの反動で女好きになったのかという顔。
 
 2005年10月の嵐山、30数年ぶりに仲間と再会した。
翌年のOB会は東京で開かれ、そのときU君に、「奥さんが庭園班の後輩だから、口ごたえもあまりしないのでは」と言ったらば、「とんでもないですよ。出ていけと怒鳴ったら、おまえが出ていけと怒鳴り返されました」と言う。後年、「孫はかわいいですが、嫁(息子さんの)はかわいくない。ホント、憎たらしいですよ」と笑っていた。
 
 名古屋OB会(2007年)の幹事はU君とKT君だった。OB会の翌日、幹事の案内で熱田神宮へ行ったとき、「神宮から寄付を依頼されました。法外なことを言ってきたのでぜんぜん出さなかったですよ」とU君。当時、彼はテレビ局の常務取締役だった。
 
 下の写真は昭和46年春。撮影者はKY君。2021年12月24日、夢にも思っていなかったU君の悲報。懐かしさが押しよせてくる。2018年12月を最後に会えないと考えたのは、小生の時間切れがそう遠くない時期に来ると感じたからだ。U君に直接感謝の弁を述べる最後の機会だと思えた。
 
 若いころからずっと、知らず知らずのうちに小生は自分をさらけだしていたのだろう。それほど親しい間柄ではなかったが、敏感に感じとったU君も自分をさらけだしたのかもしれない。
遠く離れ、滅多に会わないからということもあるだろうけれど、「井上さんといえば‥」の小生には話しやすかったのかもしれない。軽口を叩いて、重責が続く日常の気分転換をしていたとも思える。
 
 かなしいことを思い出してかなしくなるのではない、愉しいことを思い出すからだ。愉しかったことを思い出して夢のつづきをみたいと思うからだ。自分は十分生きてきたと思えても、大事な人の生は十分と思えないからだ。
 
 KY君が仲間に宛てたメールに書いていた。「全く実感がわきません。来年こそは会えると思っていたのに…」。
 
 


前のページ 目次 次のページ