2021/11/28    最後の引っ越し
 
 引っ越し魔だった。それがどういう風の吹き回しか、1985年から2017年まで同じ場所に住んでいた。一ヵ所居住としては最長記録。
伴侶は2006年ごろから何度となくモデルルームを見学に行った。しかしあまりにも荷物が増えており、不要なものとそうでないものを分ける手間を考えるだけで疲れた。
 
 伴侶ひとりで見学に行き、つきあう気も起きず、2015年夏ごろ、武庫川花火大会の船着場近くに建設中の集合住宅のモデルルームを見学に行った伴侶が今回は見てほしいと言う。
かつてそのあたりは数軒の温泉宿が建ち並んでいたが、阪神大震災で倒壊し、建て直された温泉ホテルは一軒だけ、現在も営業している。
 
 そのころ住んでいた集合住宅は対岸にあり、バルコニーから甲山が見えて眺望抜群だった。夕暮は大きな空一面がピンクとミスティブルーに染まったあと茜色になり、何度みても飽きなかった。毎日景色を見て暮らすわけではないのに、眺望のよさが日常となると、眺めのよくない場所に住みたいと思わなくなってしまう。
 
 モデルルームへ何度も通った。床、ドア、流し台、洗面台の扉を4〜5種類の色から選べる。バスルームの内装色も選択可。風呂好きの小生には、バスタブを3種類から選べたことが嬉しい。モデルルームのバスタブは平凡なふつうのタイプ。
 
 営業担当が、「全タイプ実物を展示しています。見に行かれますか?」と言う。床は心斎橋のメーカー代理店へ、洗面台とキッチン流し台の化粧板、バスタブは梅田のTOTOのショールームへ伴侶と行った。
一任してくれたバスタブ以外はぜんぶ伴侶と話し合って決めた。TOTOで空のバスタブ3つに入って、最も横幅が広く、十分なスペースの足置き兼アームレスト付きのでかいバスタブにした。新旧の住居は徒歩35分、車なら5分とかからない距離。終活はそうしてスタート。
 
 引っ越し準備は2016年秋に始まった。不要なものを少しずつ整理、投棄しなければならない。LDKのほかに5部屋あったが、徐々にモノが増えて、5部屋のうち3部屋は物置。タンス類と本箱に占領され、かろうじて確保していたのは寝室と書斎。書斎もほとんど本に占有されていたが、伴侶は文句ひとつ言わなかった。
 
 引っ越し先の総面積は旧居よりわずかに狭い。LDKと収納庫は広く、洗面室とバスルームはかなり広いが、LDKのほかに3部屋のみ。部屋を物置代わりにする余裕はない。
10年以上着ていない衣類はぜんぶ処分しよう。本の多くも要らない。本箱も捨てよう。伴侶はガラクタを選別していた。小生はほとんど使いもしないのに、三角定規、分度器、コンパス、何度か買い換えた鉛筆削りは捨てられなかった。文房具が好きなのだ。
 
 毎週のように廃棄物を車で市営クリーンセンターへ運んだ。収納しているとわからないが物の多さに仰天した。運んでも運んでも片付かなかった。2ヶ月以上続くと毎日やっているような気分になる。運び出すのは週一でも、必要なものを選り分ける作業は連日。
それで年末までにカタがついたかというと、つかない。年を越しても整理した。引っ越し予定の2017年4月半ばまで時間は十分あると思う先から、いまできるうちにやっておかないと何があるかわからないとも思えた。
 
 明るいうちに処々雑多な荷物を駐車場まで運ぶと、エレベーターで顔見知りに会うのがイヤで、夜逃げみたいに深夜決行。ところがそういうときは知り合いに会うもので、なぜこんな時間に遭遇するのか、車のトランクを開けるたびにため息がもれた。
 
 正月は狙い目だった。日中も人の出入りはすくなく、深夜は無人、作業もはかどった。冬場は低温で身体がかたくなっているのでムリはせず、暖かくなる3月に再開しようとも考えたが、そうなれば引っ越しまで時間が短く、この年になって追い立てられるのは死神だけで十分。
 
 クリーンセンターは予約制。頻繁に予約するせいか電話に出る女性係員に声をおぼえられ、車の搬入受付の年寄り(男)に顔も名前もおぼえられてしまった。粗大ゴミは10kgごとに90円。受付で一旦停止し、重量をはかり、帰るとき受付の隣の出口でまた計測して料金を支払う。
当時は毎週予約しても次週の予約を取れたが、コロナ騒ぎ以来、1ヶ月先でも取れなくなった。コロナはそういうところにも影響を及ぼす。
 
 物置となった部屋の使われていないエアコンの引き取りは、当時「無料引き取り」というチラシが郵便受けに入っており、その個人業者に頼んだ。小柄なその業者は見るからに好人物で力持ち。室内機より重い室外機を両手でかかえて運び出した。
その方には2度来てもらい、伴侶が「運搬料を別料金で支払うので」と古い洋服ダンスの処分を依頼した。格安の2000円で引き受けてくれた。
 
 自分でも唖然とした大量の本は古本出張買取「ダイワブック・サービス」(奈良県桜井市)の世話になる。担当者Nさんの風貌は、円満な長谷川博己然とした二枚目で身長180センチほど、人柄抜群の方だった。本が多かったので結局3回来てもらった。
 
 住んでいた集合住宅の売却はそういうさなか、仲介業者・三井リハウスとのあいだで成立。売り先はフジ住宅という不動産会社だった。
引っ越しが終わっても投棄せねばならない大型家電(冷蔵庫、エアコンなど)、家具が残るので、部屋の引き渡しは引っ越しから1ヶ月後にした。新居の鍵を受け取る2017年3月、エアコン、洗濯機、冷蔵庫、照明器具などを家電店で、机を家具店で購入し、カーテン屋でカーテンのオーダーをする。
 
 アート引っ越しセンターに見積もりに来てもらった。これが生意気な若造で、バカ高い見積もり書を作成したので、後日返事すると言って早々に帰らせ、翌日断った。次に来たサカイ引っ越しセンターのSさんは行き届いた人だった。アート引っ越しセンターの話をすると、「西宮支店の○○でしょう、いけ好かないヤツです」と言った。
 
 Sさんの実家は京都の新聞販売店。引っ越し業という仕事柄、電気製品や家電店の事情に精通しており、役に立つ情報を話してくれた。引っ越しの見積もりはアートの3分の1。
久しぶりの引っ越しだったので質問攻めにしたが、丁寧に応えてくれた。「ダンボール、大中小の3種類ありますが、必要な数を言ってください」と言う。「何個でもいいのですか?」と聞くと、「ええ、多めに言ってください。足りなければ追加します。余れば引き取りに行きます」。ダンボールは数日後届いた。
 
 鍋、フライパン、包丁などの調理器具や食器の梱包に伴侶が取りかかった。どこにこれほどの食器がしまってあったのかと思うような数で、一個々々手早く新聞紙に包んでいたが、ダンボールに入れるのは見なかった。見るだけで疲れた。
 
 4月20日、引っ越しの当日やって来たサカイ引っ越しセンターのスタッフNさんは気さくな小野ヤスシふう、無口なYさんも感じのいい方で、作業の終了直後Nさんと10分ほど話した。
「こういう仕事をしていると帰宅はおそくなります、家内は晩メシをつくってくれない」と言う。伴侶が「そんな、ひどいですね」と言うと、「いえ、自分がつくります」。
 
 てんやわんやの3月下旬、北陸の仲間から連絡があり、4月中旬に日帰り上洛したいという。4月20日に引っ越すのでもっと先にしてくれと返事。旧住居の引き渡しの3日後、5月21日(日)に会うことに。
 
 彼と小生とでは流れている時間が違う。学生時代に荷物なしで下宿したことはあっても、70年間一度も引っ越した経験のない彼に引っ越しのタイヘンさはわからないとして、上洛するなら人出も車も少ない平日のほうがいいに決まっているが、定年後嘱託勤務になっても平日に新聞社を休む兆しはない。
2005年秋、30数年ぶりに再会。2019年初夏までOB会ほか少人数一泊二日や日帰り旅で毎年交流した。温厚柔和が長所の彼は日和見で、肝心なときに態度をあいまいにし、ことばを濁す。そういう彼に共感できなかった。
 
 引っ越し日以降、各部屋に積み上げられたおびただしい数のダンボールの中身をしかるべきところに収納するのに、大車輪でがんばったにもかかわらず2週間かかった。
デパートが徒歩5分の距離にあって、お昼の弁当調達は楽々。夕食はおおむね伴侶がこしらえ、せっぱづまったときだけ外食。新居の荷物整理の傍ら、旧居の片付け、掃除。もぬけの殻にして引き渡さねばならない。
 
 5月初旬、人から紹介してもらった引き取り業者Nさんが家具などを取りに来る。低料金の上に申し分ないほど好人物だった。そのさなか伴侶の母親が緊急入院。いったん退院してまた入院。伴侶は入退院のたびに手続きや身の回りの世話に忙殺された。
 
 5月18日、引き渡しに仲介業者と委託している女性司法書士が立ちあう。世に才色兼備という。30代半ばのSさんはそれに加えて人柄もよかった。伴侶が彼女を気に入り、実家の母親が所有する賃貸アパートの件を相談、仕事を引き受けてもらう。手数料はどう考えても安かった。
 
 引っ越しでヘトヘトになったけれど、さまざまな人たちとの出会いがあり、癒やされるなどしていい経験になった。それでも70歳近くになって引っ越しはやるものじゃありません。
「最後のチャンスだった。でも、もう一度引っ越すかも(小生の死後)」と伴侶がつぶやく。疲労は身にしみて実感していたから、それはないだろう。

前のページ 目次 次のページ