2019/10/26    シャム猫マリー
 
 生まれて間もないネコが来たのは1970年代半ばの早春だった。倉敷で開業している外科医の奥方が血統書付のシャムネコを送ってくれ、京阪神T市の閑静な住宅街のマンションで一人暮らしをしている妹が、「一度みてちょうだい」と言っても、帰省してまで面会する気になれず、ネコ好きでない私が会ったのはヤマツツジもカキツバタも散り、ハナショウブの咲くころだった。
 
 「名前は?」と妹に聞いたら、「つけてってたのんだでしょ」と言う。たのまれたのかもしれないがおぼえていない。「名前つけたんだろ」と言うと、「つけてない」と妹はこたえる。「おい」とか「こら」とか「ねこ」とか呼んでいるらしい。適当な名が浮かばず、「マリーはどう?」と言った。「マリーは別れた恋人の名前やんか」と妹。
 
 「ダメ?」。「そんなことない。それにしよう」。2ヶ月以上も名なしのネコも決まるとなると一瞬。そばにいて、われわれの会話をとがった耳で聞いていたけれど、大きなあくびを一回しただけで特に不満もなさそうだった。マリーはオスです。
実家は昼夜を問わず人の出入りが多く落ち着かないので、妹のマンションの空き部屋のひとつ(4畳半和室)で寝泊まりしていた。
 
 数日後、私はは下落合の賃貸マンションへもどり、再び帰省したのは1ヶ月半ほどたった盛夏だったと記憶している。いたずら盛りになったマリーは、妹の化粧台に陳列しているフタ空きローションや化粧クリームを散らかし、ヒゲにクリームがついていたらしい。「化粧しようと手当たりしだい。男のくせに」と妹。
私の前ではネコをかぶったようにお利巧でおとなしい。おまえは二重人格かと言ってもうれしそうな顔をしている。
 
 育ちざかりの子どもは目がはなせない。ちびネコもツメをとぐためか遊びなのか、あちこち引っかくので油断できない。ところがマリーは人間に理解があるというか、ツメとぎなど人のいやがることをしない。
よちよち歩きのころからシモの世話は自分でやっていた。ガラスサッシの引き戸と網戸をすこし開けてやると、知らないうちにそこから出入りして用を足しにいく。夏場は蚊が入ってくるので網戸を閉じているが、彼は足が器用なのか、自分で網戸を開け閉めして外に出る。
 
 イヌを飼ったことはあるがネコは避けていた妹も化粧台の一件を忘れてマリーをかわいがっていた。
のどかな日々が数週間つづいたろうか、ある日、居間のテーブルの上にバラバラになったカマキリがいる。置き方は整然としている。翌日、オニヤンマのバラバラ遺体が食卓テーブルに置かれている。あのバカ、お灸をすえてやらねばとソファで昼寝しているマリーをたたき起こし、首根っこをつかんでテーブルへ。
 
 トンボを見せて叱ろうとしたらマリーは得意満面だったそうな。これはまずい、単なるお仕置きではすまされない。よくよく言いきかせないと不十分と勘ちがいして、次は大型を捕獲するかもしれない。トカゲとかスズメ。
 
 妹はマリーの喉をやさしくなで、でかした、でかした賞讃。それ以上ほめてカツオぶしをやると調子に乗るからそこまで。マリーは、飛んだり跳ねたりする対象物を捕獲できるまでに成長したことを自慢したかったのだ。カマキリに反応しなかったから、トンボのなかでも大将格オニヤンマというわけである。
 
 私や妹が帰宅してドアを開けるとマリーが玄関先にすわっている。翌日も翌々日もすわっている。すわりかたがふつうではなく、いかにもお待ちしておりましたという秀麗な行儀よさ。
ある夜、夕食を共にした私たちが帰ってきた。ドアを開けたらマリーが玄関に倒れていた。猛スピードで走ってきたものだから急ブレーキをかけても止まれず、もんどり打ったのだ。
 
 後に伴侶となる女性が遊びにきた日はご機嫌ななめ。外出もせず、ソファにも上がらず、カーペットのすみでにらんでいる。後の伴侶が「怒ってるみたい」と言う。
 
 そのころだった、買ったばかりの麻雀台を使われていない6帖の洋間に置き、試用会ということで一席もうけたのは。宴たけなわとなり、負け組・勝ち組がはっきり分かれたころ、ソファでおとなしくしていたはずのマリーが突然麻雀台に飛び乗り、ほとんどの牌を崩していった。アッというまだった。
 
 妹の友人だったツカモト君が叫んだ。「国士無双てんぱっていたのに!」。マリーは疾風怒濤のごとくで網戸を開けて逃げ去り、翌朝帰ってきた。ツカモト君がほんとうに国士無双をてんぱっていたかどうか。
 
 昭和50年12月母が新居を建て、マリーは旧宅に預けられることとなった。旧宅は留守番の人のほか妹も私もいない。転居半年足らずでマリーは家出したまま行方不明。旧宅から最短距離でも13キロはなれた新居がどこにあるのか知らないのに、あてどなくさまよい歩いたのだろうか。
私が下落合の賃貸マンションを引き払い、完全に帰省したのは家出前。早まったことをしてくれたと思ったけれど、緩慢も怠慢も知らないマリーらしい選択だと思い直した。マリーは飛びきり愉しく利巧だった。簡潔、迅速が利巧のあらわれであるのかもしれない。
 
 ふた月ほどマリーを探していた妹は、そのうちひょっこりあらわれるかもしれないと捜索をあきらめ、シャム猫を見てはマリーに似ているとつぶやいていた。美男の彼にちっとも似ていないのに、そう見えるのだろう。あれから43年、ばらばらになった牌のように時が過ぎた。妹が旅立って早7年になる。
 
 

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