2021/09/02    晩夏
 
 いつのころからか都会から晩夏がなくなった。お盆を過ぎると朝晩は涼しくなるのが常だったのに、朝になっても暑さが抜けない。8月末の夕方に鳴くヒグラシはまだ登場せず、ツクツクボウシがけたたましく鳴いている。秋、日が短くなると早めに家路につくサギは川の小岩にとまって日没を待ち、よそ見の間隙をぬって姿を消す。
 
 巷では加藤某官房長官が真剣味のない発言をくり返し、あらかじめ練った作文なのに何を言いたいのか伝わってこない。彼の伝達能力はツクツクボウシ以下。片言隻句さえ印象に残らない。
厚顔無恥な首相は下を見続け文章を棒読みする。政界の化石・二階某は傲岸不遜。首相補佐官は国民を見ていない。省庁は目標達成ラインを低く設定することに慣れ親しみ、この期に及んでも消極的。
 
 自民党は一部政治家を除いてごまかしもウソもあります。立憲民主党・枝野某は弁論部の学生みたいで、ウソをつかないが理屈を並べ、わかりやすいことをわかりにくく言います。
 
 「それでもガリレオは地球は回っていると言った」と端的に言い、投票意欲をかきたてた政治家は出てこないのか。こういうときにこそ火中の栗を拾う政治家がいなければならない。ご時世がご時世だけに舵取りも難しい。大号令をかける人物が望まれる。
 
 人生が一瞬であるように言葉も一瞬である。どんなに長いストーリーも、おぼえているのは断片だ。瞬間が刻まれ、記憶され、よみがえる。
昭和期、女性の化粧の下には似たような顔があった。いまはまったく別の顔がある。巧みに化粧することにテマヒマをかける。化粧の変化とともに時代全般が仮装の時代に突入した。家のなかと外とがあまりに違う人々。
 
平成初年のある夏の日、何の話からそうなったか思い出せないが所得税の話題で「お国のため」と母は言った。戦前戦中の話をしなかった大正15年生まれの母から「お国のため」という言葉が出たのは意外だった。 
お国のためという共通意識を持てないであろう時代。寛容と偏狭が混在し、仮装する人が激増した。仮装が実在であるかのごとくふるまい、時は過ぎていく。
 
 街路樹の下で死んでいるセミはたまにしか見なかった。ことしは妙に多い。ツクツクボウシがにぎやかな時期、その前に勢いよく鳴いていたアブラゼミは仰向けにころがってピクリともしない。
 
 失ったものを愛おしむのは本性に根ざしていると思い、残されたものを生かさねばと考える。あのころの感動は再体験できないが、英国の風景をもう一度見たい。そうはいっても現況が現況だけにかなわず、感動を思い出そうとする。すばらしい風景に出会うチャンスを与えてくれた天。
 
 昭和60年代までのオホーツク海沿岸・道東の夕べは、お盆を過ぎると一気に秋がやって来た。9月初旬の夕暮時にストーブを入れた。雨の日は薄ら寒く、紋別の伯母が「お盆を過ぎたら衣替えだからね」と言っていたように夏服では対応できなかった。コスモスも急にしおれていき、晩夏は晩秋に思えた。
 
 数年前まで京都の暑い夏にもなんとか耐えることができたが、もう耐えられない。疾病のせいなのか、少しの暑さ(摂氏30度ほど)でも大汗をかく。湯上がりの汗も尋常でない。関東地方の昨今の涼しさがうらやましい。
8月末になっても晩夏を感じなくなった。9月初旬の夕べ、いまだヒグラシの声を聞かない。昭和が遠くなっていくにつれて晩夏も遠くなっていった。
 


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