2021/06/16    母のくちぐせ
 
 
 あれはいつだったか、「わたしほどのわがままは周囲にいなかった」と母が言ったのは。「バカを出せと言われればミツを出す」と祖母(母方)から何度も言われた。
わがままだけでなく、人に喜んでもらうためなら金銭を惜しまなかった。わがままの上に、他人にモノを買い与えるという浪費が上乗せされ、祖母はとうとう母を連れて行脚に出た。予期せぬ不登校。出発地がどこか聞き漏らしたけれど、子どもだったので利尻島・鬼脇だと思う。
 
 小学校まで徒歩1時間以上かかったというから、少なくとも5キロはある。雪はそれほど多くなかったといっても50や60は積ったと思う。除雪車はこない。雪道はたいへんだったろう。
 
 母方の祖父は北海道の網元で、要所々々の寺社に浄財しており、そのコネクションで高野山金剛峯寺、吉野山金峯山寺、鳥取大山神社などの住職、宮司にわたりをつけることができたらしい。
高僧の体験談を聞いた。非公開の古文書や絵図を見せてくれた。修業の一貫として雪の参道を裸足で歩かされることもあった。山口けんしん(字は不明)という行者がいて、一子相伝のごとく秘伝を授かったと晩年に語っていた。しかし秘伝の内容は語らなかった。
 
 同じ体験をさせるのは無理だと感じたのか、酷だと思ったのか、わたしに課したのは高野山、吉野、熊野、伯耆大山など山岳修験を外郭的に知る旅に連れていくことだった。遊園地のほうがいいとは思わなかった。山地に広がる森は昆虫の宝庫だ。早朝、広葉樹の幹には樹液目当てのカブトムシがいる。
 
 小学低学年のころ、夏休みが始まると、吉野の従姉夫婦に預けられた。17歳年上の従姉の夫は林業に従事していた。農家の2階を間借りしており、庭先にさまざまな夏の花が咲き、その前に吉野川が流れている。
透明の水は向こう岸の深みに近づくにつれてえもいわれぬ深緑になる。川遊びをしていると、頭上を見たこともないチョウが飛ぶ。記憶に刻まれた吉野の自然。
 
 母が与えてくれた経験から学ぶことは多かったはずである。だが何ひとつ生かせなかった。自閉症による登校拒否で高校1年生を2度やり、そのほか親不孝を重ねた。「わたしは心配性だ」と後年母は言ったが、年を経て心配性に傾いたのかもしれない。子は親の心配を顧ない。顧みて反省しても長続きせず忘れる。
 
 母子のせめてもの救いは、拒食症・過食症で引きこもっていても、勤め人の父と違って不在がちなことだった。母は心の荷物を背負いながら行脚を続けていた。家にへばりついていたら身が持たなかったろう。
 
 母の口癖のひとつは「一事が万事」である。子の行状は一事であっても万事なのだと長いあいだ理解せず、母の死後ようやく知った。「一事が万事」、肝に銘じなければならない。
 
 「急がば回れ」も母の口癖。即断即決の母は「待ったなし」とも言っており、真逆に見えるかもしれないけれど、ふたつの言葉は両立する。経験を積めば誰にでもわかることだ。ほかに「論より証拠」、「カネは天下の回りもの」、「一寸の虫にも五分の魂」。小生の口癖は「顔に書いてある」。「帳尻が合う」。味も素っ気もない。
 
 父母を書くのは難しい。書きはじめても書けなくなる。酒の飲めない母の好物はウィスキーボンボンだった。
 

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