2021/05/15    昭和の風景(七)

 
 
 「こんなの見つけた」と伴侶が最近、母親(老人ホーム入居後1年)の自宅から持ち帰った。ずいぶん前、大阪府立北野高校のそばにあったお家で見せてもらったアルバムの一枚である。
 
 「昭和の風景(六)」の写真とセットで見てください。戦後、心斎橋にあった料亭「近松」の座敷。昭和31年〜32年の一年数ヶ月、岳父が所有していた。後列中央、紺地に白の絣(かすり)の着物を着ているのは、女将なのだが座敷に出ない伴侶の母親。
総合商社の重役に、「外国の人ら招待するよって、女将が出んかったら按配ようあれへん」と言われ、従業員の三勝(さんかつ)さんとお俊(しゅん)さんからも手を合わせて頼まれ、しかたなく出た。
 
 20世紀の料亭では、女将も仲居も着物はおおむね木綿と決まっていた。絹の着物、まして上等は御法度。芸者はもちろん、客が連れてくるかもしれない女性より目立っていたらどうしようもない。
 
 小生はさいわいなことに昭和50年代前半、29歳ごろ、修業の一貫として芸者の侍る宴席に出たことがある。母(実母)の踊りの師匠、大師匠、母も同席していた。
芸者があらわれるだけで座敷がパッと明るくなり、華やいだ。テレビや映画でみるのと全然ちがう。空気が一変する。すごいと思った。海千山千でないと芸者はやってられない。しかし、また雰囲気を味わいたくて芸者をあげる人の気持ちがわかった。
 
 料亭の従業員は、後列右二人目に三勝さん。その左がお俊さん。右の上等な着物はクラブのママ。重役の左の洋装はマコちゃん。左から三人目がなっちゃん。
 
 前列左端の女性はクラブあおいのママ。寄り添う姿は、これぞお手本。しなだれ方が見事。前列右端の姐さんもさまになって。玄人にはさまれた男性三名、口元のほころび方が中列右端の真一文字男性と違う。
右端の姐さんの袖のあたりから真一文字男の膝にかけて「写真館」の刻印文字が見てとれる。
 
 さすがにおチビさんはいない。きつく足止めされたらしい。
 
 

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