2021/05/12    昭和の風景(五)
 
 昭和の風景(二)に掲載した写真のちょうど1年前の正月。場所は生誕地・大阪市阿倍野区、着物は同じ。髪飾りは異なる。着物の下にズボンをはかされ、セーターも着せられ、ころんころん。身体のバランスを取れないまま、なんとかふんばっている。足もとを見ればわかります。
着付けたのは母親。風邪をひきやすいからと和洋折衷。子は着心地よくないと感じながらも黙って着ている。小生が指摘するまで重ね着のセーターを思い出せなかった。当時、小生の近所にも洋服の上に着物を着せられている女児がいました。
 
 父親はシャッターを切る前、決していい写真になるまいと思ったろう。相撲取りに見える。小結は二歳五ヶ月、三人は近所の子です。それで思い出したかアルバムを見て、ほかの子のひとり写真はあるのに、わたしのはないと言う。どすこい、どすこい。
 
 写真館や散策&拝観2に伴侶の写真を掲載したとき、これはいくらなんでもとアップしなかった。今回打診したら、ぜんぜんだいじょうぶ、こんな相撲取りがいれば会いたいということでアップ。よく見たら隣の子とリボンが同じ。母親同士も仲が良かったらしい。羽子板の子は朱実ちゃん、宮本武蔵に出てくる名。
 
 伴侶が右手に握っているのは「さるかにがっせん」の絵本。童話のなかで「さるかに」が一番好きだったそうで、小生もそうだった。桃太郎や花咲じいさんなどは展開が立て板に水で退屈。「さるかにがっせん」みたいに動機がはっきりしているのはおもしろい。あやふやなのはわかりにくい。
 
 意地悪なサルがいて、カニをさんざん調略し、死んでしまったカニの子どもが、栗、蜂、臼(うす)などのユニークな味方の協力をえてサルを倒すという童話。桃太郎の相手の鬼ではなくサルというところが現実的。
臼なんて、暮れに庭先でやった餅つき。伴侶は「さるかにがっせん」を手放さなかったとか。伴侶の場合、栗ご飯が大好きだったからという理由もあるかもしれません。
 
 「ジャックと豆の木」も伴侶は好きだった。豆の枝がツタみたいに伸びて天まで届く。小生も好きでした。ある種のあこがれかな。価値観が似通っているとか、境遇に共通点があったこと以上に、童話の世界で気が合って暮らしはじめたのかもしれない。「ヘンゼルとグレーテル」はお菓子をいっぱい食べられるので小生は愛読していました。
 
 これを書いているとき伴侶が帰宅。大阪府池田市にある母親のマンションにしまってあるアルバムを探して、父親が1年すこし経営していたミナミの料亭座敷写真のうち2枚持ってきた。
ずいぶん前に拝見し、巣ごもりで退屈しているものだから、また見たいと請願しておりました。伴侶が4歳くらい。この画像の1年半ほど後。「昭和の風景(六)、(七)」で順次紹介します。
 
 朱実ちゃんは、料亭を売り払って大阪府立北野高校そばに建てた新築家屋に遊びにきて、伴侶とふたりの写真も。阿倍野区時代、彼女のお家は隣の隣。近所の子どもが着物で集まって記念写真をという習慣、60年以上前になくなったと思います。
 


前のページ 目次 次のページ