2021/03/12    父の肖像(二)
 
 1940年前後から1950年前後を時代背景とした日本のテレビドラマをみると、あるいは20世紀初頭の田舎が舞台で、子どもが主人公のフランス映画(「マルセルのお城」が代表格)をみると無性に懐かしくなる。家族をはじめさまざまなことを思い出す。
 
 父も母も信仰心は篤かった。朝晩、神仏に手を合わせるのが日課。わが家には床の間付きの部屋が3室あった。祖父母の部屋の床の間は思い出せないけれど、居間の床の間は神棚となっており、両親の部屋には掛け軸がかかっていた。
神棚の改築後、違い棚は取り払われた。障子は破れたり、黄ばみはじめればそのつど父が貼り替えた。古い障子紙を破り取る手伝いを父から頼まれるのがうれしかった。
 
 あれはいつだったか、小学校低学年のころ、めったに訪問する人のなかった祖母を訪ねてきたご夫婦がいた。祖母の従妹か姪だったか(宮崎県の農家に嫁いでいたと思う)忘れてしまったが、客間の扉ごしに聞こえてきたのは、ブラジルに移住するからお別れにきたという。そう言って会話は途絶えた。女性は忍び泣いていたのだ。
 
 父が言うには、森羅万象に神さまは宿る。姿形がなく、見たいと思う気持ちをかなえてくれない。仏さまに姿形はあっても、顔が人間になったら、あれこれ欲に満ちた顔になるのであのようなお顔をしておられる。
子どものころ古都の社寺へ行き仏像に拝すると、顔も体も写実的なギリシャの彫刻と較べて日本の仏さまは、仁王像など一部の造形物を除き、生々しい人間の顔とちがって柔和、崇高。
 
 父が語ってくれた話は断片しかおぼえていない。父母の会話に子どもは聞き耳を立てる。わが家に出入りしていた人たちのなかに大阪市内の小さな町工場の経営者がいた。
好景気でいっとき羽振りは良かったのだが、派手に使って不況のさなか借金を重ね、父もその人に用立てた。会話から貸したのは結構な額だと子どもにも理解できた。
 
 それからまもなく彼は夜逃げして消息不明。「借りるより貸すほうがいい。だますよりだまされるほうがいい」と父は母に言っていた。両親に共通の価値観である。子どもは納得いかなかったけれど。
 
 前述のテレビドラマである。「いざ時代劇」2019年9月29日「時代劇ではないのですが…」に池部良と笠智衆について書き記した。あれから1年5ヶ月しか経っていないのに、また同じドラマ(ダビング)をみた。最初に放送されたのは1986年春で、小生が初めてみたのは2019年9月。
そのときは実年齢の近い池部良(67か68歳)に親近感をおぼえたものだが、今回は急激に耄碌し、体力も衰えているからだろう、笠智衆(実年齢81歳)に自分を感じた。
 
 2年くらい前から展開の早すぎる、もしくは遅すぎるドラマをみると疲れるようになった。笠智衆や池部良がスクリーンで活躍した昭和20年代半ば〜30年代前半のドラマは疲れず、しっくりくる。
進展がスローなのではなく、主要な登場人物の芝居がぴりぴりせず、テンポが自然なのだ。戦後間もない昭和に登場する俳優の多くは明治後期、大正期に生まれ、その時代ののんびりとした、おおらかな風をはこんでくれる。
 
 劇中、笠智衆が「一日は長い」と言う。高齢者には一日は長い。老い先も残された時間も極度に短くなるのに、隠遁生活をしていると日が長く感じられるのだ。実感である。
 
 ドラマ(花嫁人形は眠らない)は全8話で、特によかったのは第3話「月の沙漠」と第7話「シャボン玉」。笠智衆が絶妙のタイミングで「月の沙漠」を歌う。音痴なのだが味があって家族は癒やされる。「シャボン玉」は家族全員が庭先でシャボン玉を飛ばす。池部良のシャボン玉がひときわ大きい。
 
 春の匂い。広大なレンゲ畑。夕立のあと、土の香りがまじった匂い。澄みきった秋の匂い。ピーンと張りつめた冬の空気。季節にはそれぞれの匂いがあり、風が匂いをはこんできた。
 
 70を過ぎると坂道を転がり落ちるような感じである。子どものころの幽かな記憶。小さなしあわせ、小生が都内の私立大学に通いはじめた昭和43年春、父は佛教大学の通信講座をスタート、日曜は京都に通って受講した。
何年間の通信講座なのか思い出せない。その年の11月下旬、父は急逝した。最も懐かしいのは少年時代であり、あざやかによみがえるのはそのころの昭和である。
 
 
        昭和28年(1953)夏、両親、小生、弟、妹、祖母、神戸の知り合い3名が写っています。
          父の膝に小生(4歳半)、母の膝に弟(1歳)。左端が祖母、その左に妹(2歳10ヶ月)。


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