2020/10/21    籐の行李
 
 衣替えの季節になると籐(とう)の行李(こうり)を思い出す。祖母(父方)が押し入れから両手にかかえきれないほど大きくて重そうな行李を出す。行李にしまってある衣類を出し、からっぽにする。整理ダンスの引き出しから衣類を出し、行李の衣類と入れ替える。
行李は何個かあるのでそれをくりかえす。孫が楽しみにしているのはからっぽになった行李。そのなかに入って両腕を行李のへりにかけ揺さぶる。舟に見立てているのだ。祖母は、孫がひととおり遊びぶまで整理ダンスの衣類をゆっくり入れ替え潮時をみる。
 
 太平洋戦争中、疎開先の宮崎で農業をおぼえた祖父の話によると、籐の茎にはトゲがあるらしい。籐は丈夫だから行李に向いているという話もしていたような記憶がある。植物であることはわかっていたけれど、地面に生えている籐をみたことがない。
 
 行李に上がって、ふたを踏んで遊んだこともある。衣類がぎっしり入っていれば問題はなかったが、からっぽの行李に上がってふたがへこんだこともある。でもだいじょうぶ、籐は復元力に富み、ふたのへこみは元にもどるのである。軽いからいいようなものの、肥満児なら穴が開く。
 
 籐の行李は通気性抜群で、しかも虫がつかないと聞いた。防虫効果についてはよくわからなかった。籐の行李にしまっていた衣類はナフタリン不要なのでにおいもせず、半年経過していても衣類がふんわりしていた。そして魔法の箱のようにいっぱい入った。えッ、まだ入るのという感じ。
 
 秋の衣替えは朝晩めっきり涼しくなるせいか、始まりと終末、爽快と寂寞がまぜこぜの独特の情感がただよっていた。祖父の畑は曼珠沙華も鶏頭もダリアも終わり、コスモスと野菊が咲いている。チョウもトンボも来なくなり、バッタも飛ばない畑は誰もいない教室だ。
 
 朝、ニワトリ小屋のタマゴをとりにいった子どものころ。畑の隅に穴を掘り、缶にため込んだべったんを埋めた。ミミズもアリも日常の風景だった。彼らが入ってべったんを食う怖れもあったから、缶は厳重に密封した。
地上の楽園は子どもの記憶のなかにあるのだろう。時がたっても色あせない過去の追想のなかにあるのだろう。祖父の畑が地上の楽園であるなら、籐の行李は籐の方舟である。たどり着けない場所へ行くための舟。
 
 10月半ばを過ぎると祖父母と両親を思い出す。祖母は小学4年のとき72歳で、祖父は中学1年のとき75歳で亡くなった。祖母の死後、畑仕事に身が入らなくなった祖父から笑顔が消えたのは、心の問題だけでなく身体の調子が悪化していたことにもよる。具合がわるいと笑えないのだ。その気持ち、いまならよくわかる。
 
 亡くなった家族の気持ちは、自分がその年齢になって同じような状況になると見えてくる。気持ちが通じても相手はいないではないかと思うなかれ。想像の方舟に乗れば一足飛びに会える。会えば通じるのが家族である。
 
 
                   


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