2020/06/22    そして寸劇

                寸劇「地蔵物語」出演者
 
 
 寸劇の1回目は、その当時の人ならストーリー、登場人物を知っている「西遊記」から「異聞西遊記」だった。金角、銀角の出てくるあれである。小生はKさん(前列中央の落武者)とともに村人。
金角をやったのは看板役者のひとり田野さん(上の画像中央の公卿)、銀角はコメディ役者近藤恭子さん(右から4人目)。女銀角。金角の田野さんは稽古のとき、天山山脈をテンシャンサンミャクと言えずテンサンシャンミャクと言う。ちゃんと言っているつもりだろうが言えない。
 
 後に妹の子がタマゴをタガモと言い、こっちが直そうとしても、自分はちゃんと言ってるのにヘンな人という顔で小生を見て笑う。そのときも田野さんのシャンミャクが話になった。田野さんは独自のジェスチャーとアドリブを使って稽古のときから共演者を楽しませたが、シャンミャクは「笑えない」と自嘲。
 
 西遊記は数年後オリジナルの続編をやった。小生は黄牛という名のおっかない妖怪で、副官に紅蓮(Kさん)、配下に白龍、黒龍を従えている。白龍役は伴侶、黒龍役は義妹。白龍・黒龍は村娘を装い三蔵法師をだます。
 
 紋別から来た2歳半のチエちゃんがそのころ逗留していて、稽古をみて泣きだす。翌日も泣いてはみて、小生を「恐いのおじさん」と呼ぶようになった。幼児は「の」を入れる。小生はノーメイクの地色の恐い形相。上の写真にはいないが、善悪を使い分けるハラを持ち、せりふ回しのうまい義妹の芝居はどこに出しても通用すると思えた。
 
 いつだったか博多を舞台に現代劇をやろうということになり、長崎出身の近藤さんに方言指導をしてもらった。彼女の役は半ボケの舅(老人)が借金し、取り立てにやってきた男と丁々発止のやりとりをする長男の嫁。3000万円と言わねばならないのに3000円と言った。
 
 会場は一瞬沈黙。「3000円やったら私でも返せる」と客席のだれかが言い、近藤さんもまちがいに気づき、「持ったことのない大金やから」と言い会場は爆笑。一緒に笑った舅はせりふを忘れ、上手に隠れているナレーター(小生の妹)が吉兆の老女将のようにひそひそ声で教える。
 
 「おお、そうでした」と舅が言うものだから再び爆笑。そのあと自分の娘を呼ぶのであるが名が出てこない。呼ばれなくても出てきた彼女に、「名前、何どしたやろ?」と京都弁で聞いたからたまらない、会場はまた笑いの渦。舅役は谷沢さん(画像中央の地蔵)、娘役は小生の伴侶。観客数はおおむね120から150名。
 
 劇団に欠かせない役者はほかにいる。右から3人目のTさん。英国女優ジュディ・デンチみたいな雰囲気なのだが天性のコメディアン。間がよく、せりふ回しに独特の響きと癖があり、威厳もそなえているので、大奥を仕切る役とか中世ヨーロッパの王妃役が合っていた。
 
 時代劇からスタートした寸劇だったが、一度「西洋劇」をやってみたいと思っていた。1987年3月バレンシアへ行ったおり、おびただしいファジャスのなかにガリヴァーがある。
瞬時に高校2年の体育祭でやった仮装行列(うすくち手帖2020年6月10日「ガリヴァーと麦わら帽子」)がよみがえった。巨大な人形に高校2年の風景を見ていたのだ。
 
 ファジャスに火が放たれたとき、後ろのほうで「フェルナ〜ンド!」と叫んだ者がいた。ふりかえって見ると10代後半の若者だった。オペラ歌手のテノールのようによくとおる雄々しい声。
勢いよく燃える炎に高校時代の面々と、体育祭の夜ガリヴァーを燃やした光景が闇に浮かび、炎の彼方に新作劇の登場人物が次々あらわれた。
 
 ときは16世紀、ところはイングランド。小国イングランドが大国スペインの強圧に屈さず後の繁栄の礎をきずく「騎士物語」。
史実では夭折したエドワード6世を死なせず、妹のエリザベス(1世)と協力し、スペインに寝返るバッキンガム公爵一派を打ち倒す「騎士物語」パート1。フェルナンド(Kさん)はレスター伯爵の従者で、伯爵とエドワードを助ける役。小生は吟遊詩人。
 
 フェンシングを使った殺陣も入れた。エドワード&レスター伯VSバッキンガム公爵&従者ダルトン。見物の小中学生からやんやの喝采。舞台のすそから見ると、立ち上がって目を見張るおとなが複数いた。稽古とはちがう出色の芝居をする人が何人かいた。薄暗い脚本に火をともし、生命の息吹をもたらすのは役者である。
 
 エドワードはバッキンガム公爵を倒し、王位を妹のエリザベスに与え、放浪の騎士となって行脚の旅に出る。旅の前、彼方を見晴るかすソールズベリー大平原に立ち、召使いのミリアムに言う。「これでよかったのだ」。ミリアムはこたえる、「そうでございますとも」。弟夫婦の芝居は申し分なかった。彼らの目に大平原が映っていたのだろう。
 
 1999年初夏イングランドを旅した。レンタカーでストーンヘンジに向かう道中、ソールズベリー平原とストーンヘンジを見渡せる丘から眺めたのは、脚本を書く前、夢のなかにあらわれた風景だった。身体がふるえた。
 
 半年後ローマ法皇、枢機卿と結託するスペインにイングランドが挑戦するパート2も上演した。法皇の白、枢機卿の赤の法衣をビロード生地で見事に仕立てたのは木村のおばばである。パート1の脚本はスペインから帰国後1日で書き上げ、パート2は小樽から舞鶴まで(28時間)のフェリー船室で書き上げた。小生はスペイン王役。
 
 寸劇の上演時間は40分前後。小生もとりつかれたように一気に書いたけれど、役者たちはヘボ脚本家など足もとにおよばぬほど役に生きているように見えた。あれはいったい何だったのだろう。
 
 序曲はケテルビー作曲「ペルシャの市場にて」。はじまりはにぎやかだが途中で憂愁をおびる調べ。終曲は服部克久作曲「夕映えのフィレンツェ」。哀愁と浪漫をかねそなえた名曲。
 
 イングランド王が登場するときのファンファーレは日本コロンビアの「ファンファーレ」というカセットテープを店頭で見つけた。「スペイン奇想曲」や「アイーダ」、「カルメン」など15種類以上のファンファーレが入っていて、どれを選んだか思い出せないけれど、王用と王女用に使い分けた。
 
 効果音もあった。雨、風、雷、川の流れ(小川と大河と使い分ける)、さまざまな鳥、馬車の音、馬のひずめ、兵の進軍、扉のきしみなど、当時はすべてカセットテープだった。カセットレコーダー2台に編集済みテープをセットし、ナレーターの妹が操作した。
 
 寸劇で上演されたのはほかに「異聞源氏物語」、「詐欺師とペテン師」など。源氏物語で平安期の貴族をやった小生に「いかさま(その通り、あるいは成程の意)」というせりふがある。みにきた米子の伯母が翌日、鼻歌のように「いかさま、たこさま」とつぶやいていた。
 
 「詐欺師とペテン師」では弟が詐欺師、小生はペテン師。婚期を逸し、ペテン師(小生)にだまされるオールドミスを伴侶が演じた。シーンがかわって詐欺師とペテン師は仕事する。蒸気機関車の汽笛、走る音。ブレーキ音でイスに座り英字新聞を読む詐欺師らの身体も傾く。
 
 彼らは資産家の令嬢から大枚せしめようと仕掛ける。どちらが先にだまし取れるか互いに勝負するのである。しかし逆に大金をだまし取られてしまう。令嬢を装う女詐欺師だったのだ。
カモにされたあと、別荘地購入客の案内人に化けた女と偶然出くわす。なに食わぬ顔の女を見て呆然とする男ふたり。そこで幕。初出演の妹が女詐欺師。推理する観客をだませたかどうか。
 
 写真はいつのまにか紛失し、残っているのは上の「地蔵物語」と「騎士物語」パート1だけ。「地蔵物語」は道ばたの地蔵が時代の変遷を見る。時代は変わっても地蔵は目をつぶって立っている。
芝居がはじまっても目を閉じ、沈黙する地蔵に大向こうから掛け声がかかった。「お地蔵さん、せりふがなくてよかったな!」。前回の舅役をおぼえている観客から笑いが洩れる。
 
 平安末期、鎌倉初期、戦国時代の地蔵さん。脚本は単調だったけれど役者は健闘した。上の写真撮影時も目をつぶっていた地蔵がカッと目を開くのはここぞというときだけだ。雨、風、雷、鳥の声などの効果音が役立った。
谷沢さんは目が大きく、歌舞伎のにらみのような目を難なくやってのけた。にわか劇団の役者は小生と伴侶以外みな口跡がよかった。気張らなくてもよく通る声は舞台にも時代劇にも必須。
 
 小生の生き方はわがままとサービス精神の寸劇にほかならない。21世紀は余生である。一昨年來、病気と耄碌のためサービス精神に黄信号が点灯し、昨夏を最後に赤となった。いまはただ大鎌を振りかざして追ってくる死神をかわしながら家で伴侶と草芝居をやり、日々過ごしている。

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