2024/04/26    感謝する人しない人
 
 20代後半まで学生気分が脱けなかった。30代になって、大正期や昭和初期生まれの年長者おおぜいと交流し、導かれるかのように感謝の念は大切であることを学んだ。万感胸に迫る「ありがとうございました」に感謝と祈りがあふれていた。善良で思いやりのある方たちばかりだった。
 
 50代半ばの2005年、大学時代の同好会仲間でOB会が結成され、年に一度会うようになった。何度か記したけれど、後輩KT君が画像掲示板を開設していなければOB会もなかった。掲示板に書き込みしていたのは後輩女性NYさん(通称ミリンダ)ほか。懐かしかった。
 
 OB会の第一回目、京都で再会(16名)した感謝の気持ちとしてKT君、NYさんにマンゴを送ろうと考えた。マンゴ専門の通販会社が講演を兼ねた試食会をおこない、伴侶が母親を伴って参加。買ってきたと言うので小生も食べた。
 
 おいしかった。インドやタイのマンゴに匹敵する、いや、それより美味かもしれない。マンゴは直輸入タイ産。感謝の気持ちにしては些細だけれど、気は心。KT君、NYさんから丁重なメールが届いた。
喜んでいただけたのが喜びだった。それから何日かたった日、NYさんから京都の高級菓子が届く。木工や革細工など手作り工芸が趣味のKT君から革製の見事なキーホルダーが届き、喜びが二重三重になった。
 
 気をよくして四国の坊ちゃんと同期の一人にもマンゴを送った。坊ちゃんに似つかわしくない恐縮気味のお礼の電話があり、その後まもなく薄墨羊羹3本入りが送られてきた。初めて食べる薄墨羊羹はおいしく、松山の和菓子はイケると思った。
 
 感謝をクチに出さなくてもよいと思っている人もいる。クチに出しても出さなくてもそれほど違いはないと考えているのか、いただきものをもらってもすぐ忘れるのか、もらえるものは何でももらっておこうと思うのか、よくわからない。
 
 千葉在住の同期HJに初孫が誕生する。誰かがそういう情報をキャッチしたのか、掲示板に彼自身が書き込みしたか思い出せないが、もし書き込みだとすれば余程うれしかったのだ。
 
 伴侶がHJさんに赤ちゃん用のグッズ(主に衣類)を贈りましょう言う。グッズ選びは伴侶に一任した。何日か経過し、思いもかけないものがHJから届く。大きな鉢植のシクラメン。ただ美しいだけではなく咲きっぷりがよく、鉢も豪華。
驚きとうれしさ、申し訳なさが入り混じった。シクラメンはどのくらい咲きつづけたろう。季節が変わっても、年が明けて夏がきても咲いていた。土がよいからだ。鉢植は土で決まる。
 
 2007年秋、OB会の仲間数名を車で甘樫丘に案内した。大和の秋は晴天にめぐまれ、夕食後の夜の奈良公園、浮見堂散策も楽しかった。夜の奈良公園は漆黒の闇。足もとを懐中電灯で照らさなければ歩けない。
異様な気配に気づき光をあてると、1メートル弱のところに大きな鹿数頭がのそっと立っている。眠っているのか動かない。至近距離の夜の鹿は不気味。
 
 それぞれ帰宅したあと、参加者Aさんから伝統工芸の高級和紙を使用した栞、短冊、懐紙が送られてきた。NYさんはズワイガニを送ってきたと記憶している。
KKさんは甘樫丘がよほど気に入ったのか、それから間もなくご主人と一緒に登り、ご主人(OB会のメンバー)の赴任先・博多の祇園山笠特別席に前夜の夕食込みで伴侶と共に招待してくれました。おこぜの唐揚げ美味だった。
 
 2022年秋、京都OB会に出席できなかった小生に「昔話でも」と言って横浜のKY君が学生時代の写真を大量に持ってきてくれた。心が満たされるサプライズ。お昼ごろ宝恷sのホテルで待ちあわせ、そこから徒歩10分の拙宅へ。
 
 おもてなしは何もできないとして、せめてと思い、名の通っている仕出屋や料亭の配送会席料理、松花堂弁当を伴侶と試食した。どれもこれもダメ。それでささやかな伴侶の手料理を食していただいた。KY君から京都土産に特別おいしい山椒ちりめんを頂戴した。そして思い出のいっぱいあふれる写真をみせてもらい、なにを語ったかは、「あっち向いてほい」2022年10月16日「KY君の来訪」を読み返さないといけません。
 
 何日かのち富山のます寿司二人前が送られてきた。ます寿司はKY君の郷里・富山の名産品。ます寿司大好きと言っていたNYさんを思い出した。お礼の電話をしたときKY君は「歓待してくださったのだから何もしないわけにはいかない」と奥方が言い、それでみたいなことを話していた。照れ隠しでそう言ったのか、そうではないのか、わかりまへん。
 
 大学時代は波風の立たない平坦なつきあいが多い。中学、高校の同級生なら水くさいと思うことでもそれが普通となっている。淡々として何もしない。ある意味唯我独尊。ノーテンキ。それが小生のいうところの学生気分。
 
 サラリーマンは大企業であればあるほど社外のつきあいが少ない、あるいは皆無。そうした生活が当たり前なので何もしない。感謝の言葉をクチに出しても、感謝はいわば口先だけの社交辞令にすぎない。お互い納得づくの社交辞令。
退職したら部長も支店長もただの人となり、誰からも見向きされずそれまでよ。だが退職後の退屈な人生にもそれなりの味わいがあると知るだろう。仕事にしがみついていた恐妻家ならそうとはかぎらないけれど。
 
 高齢となって病魔に取りつかれ、身体が衰弱し、淡々とした生活をするようになった。体力、気力に余裕がなくなり、サービス精神も衰退した。しかし感謝の気持ちは変わらず持ちつづけている。
 
 2018年5月、高血圧と腎臓専門のクリニックを受診した。超音波検査をその場でしてくれ、血液検査もおこなった。腎機能が低下しており、医師は原発性副甲状腺機能亢進症の疑いが濃厚ゆえ、紹介状を書くから隈病院(神戸市 甲状腺の専門病院)で検査してもらいなさいと言い、「宮先生は手術がうまいよ」とつけ加える。
 
 いったん行く気になったものの、ずるずると先延ばしするうちに身体に異変がおき、2019年1月あらためてクリニックで、「先生、まだ行ってないのですが、また紹介状書いてもらえますか」と頼んだら、「ええよ」と言ってくれた。何の屈託もないサラッとした言い方に医師としての使命感の強さも感じた。
 
 宮先生に診察してもらい、数日後の精密検査の結果、病名はまさしくそれで、2月下旬の診察日、入院手術の日取りが病室に空きの出る5月中旬と決まった。
 
 隈病院のスタッフは医師の腕のよさだけでなく、看護師も粒より。明るく、てきぱきし、ムダのない丁寧な言葉遣い、対応がすばらしい。ナースコールを押してもすぐ駆けつけてくれる。
市立病院に時々見られる杜撰で不親切、無神経な女性看護師や、早朝、廊下で立ち話をする看護師もいなかった。配膳係、掃除などスタッフに騒音を立てる人は皆無。食事の味つけもよかった。入院すると考える時間、後悔する時間が増える。
 
 病室は全室トイレつき個室で、個室の差額ベッド代はゼロ。小生は、差額代わずかのバスつきの部屋を取ってもらった。入院中でも風呂に入ることができるなら、毎日入りたい。
 
 入院8日目に退院。回診のたびに励ましてくださった宮先生、そして看護師数名の顔をはっきりおぼえている。感謝の筆頭医は、病名を即座に言い当て、紹介状を二度にわたって書いてくださった宝恷s中山寺の「中山寺いまいクリニック」の今井先生だ。
 
 それだけでもありがたいのに、年一度の特定検診の結果が出た日の朝、「大腸の潜血反応に異常がある」と今井先生は電話してくださった。即日受診すると、「ポリープだと思う」と言って、大腸内視鏡検査の医院(宝恷s)の紹介と予約をしていただいた。先生の隣の看護師長(奥さま)がそうした業務もおこなう。
ポリープはかなり大きく、その医院の紹介で豊中市の私立総合病院に入院。長くなるのでその後の顛末は省略したい。切除手術は無事終わった。世に名医はいる。名医にめぐまれて感謝。
 
 感謝しない人の家庭は感謝する環境が貧弱で、家族愛に飢え、情が薄く、自己愛と自己憐憫は強く、感謝しても得にはならないと思っているのかもしれない。得にならないことをおこなってこそ生きる実感を持てると思わないのだろうか。30代で気づかせてくれた方々。感謝する人は記憶に残り、しない人は記憶から消えていく。

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