2019-07-17 Wed
リトル・ドラマー・ガール

 
 久しぶりにおもしろいスパイ映画をみた。原作はジョン・ル・カレ(1931−存命)。映画化された作品のなかで、「寒い国から帰ってきたスパイ」、「ナイロビの蜂」、「裏切りのサーカス」、「誰よりも狙われた男」、「われらが背きし者」をみた。「リトル・ドラマー・ガール」はダイアン・キートン主演で1985年、一般公開されたがみていない。今回、新作の連続ドラマが7月13日、14日WOWOWで放送された。
 
米英などの賛同を得、1947年11月国連総会においてパレスチナ分割決議が採択された。主導権を握ったのは英国である。イスラエルとパレスチナはしかし国境線をめぐって対立し、分割案は棚上げされ内戦が勃発、最悪の事態に陥る。そしてシオニズムの波に乗り1948年5月イスラエルが建国される。1967年、イスラエル対アラブ諸国の第一次中東戦争でイスラエルが勝利。
 
 その後の経緯は省くとして、2018年英国BBC制作テレビドラマ「リトル・ドラマー・ガール」全8話は、1978年前後のミュンヘン、アテネ、ロンドン、テルアビブなどがロケ地。ライトアップされたアクロポリス、観光客が入れない夜のパルテノン神殿を主演男女2人が歩くシーンは目を見はる美しさ。絶妙のカメラワーク。
都市部の夜景が印象に残る作品はすくない。「リスボンに誘われて」でサン・ジョルジェ城を背景に主役ジェレミー・アイアンズがベンチにすわり本を読むシーン。夜のリスボン旧市街の絶景を映した色彩感覚のゆたかさ、色の組合わせ、風景の切り取り方のすごさに息を飲んだ。
 
 主演は、初めて聞く名の女優フォレーレンス・ピュー(Florence Pugh)。イスラエルの諜報機関員にマイケル・シャノン。チームのひとりにアレクサンダー・スカルスガルド。マイケル・シャノンは連続ドラマ「ボードウォーク・エンパイア」に出演し、主役の超個性的ティーヴ・ブシェミに一歩もひけをとらなかった快演が記憶に残る。
スカルスガルドは映画「ターザン」(2016)の主役をやったが、性格俳優色彩の濃い演技派で、セリフのない場面は目で演技し、謎めいたクールな男をやりぬいた。
 
 「リトル・ドラマー・ガール」の主人公チャーリーは主にロンドンのちいさな劇場で芝居を打つ若手女優。チャーリーという男みたいな名は、以前そういう出演名の女優の映画かドラマがあったような記憶はあるが思い出せない。
「リトル・ドラマー・ガール」のチャーリーは特に美形ではないし、あか抜けてもいない。しかしどこか懐かしくなるような、過去に会ったことがある魅力的な女性。
 
 彼女が無名の舞台女優で、芝居のうまいところ、顔が世間に知られていないところに諜報機関は目をつけ、巧妙に誘い出し仲間に引き込む。引き込むせりふにも工夫がある。仕組むとみせかけて仕組まない。仕組まないとみせかけて仕組む。劇中劇といった陳腐な手法ではなく、ドラマのなかにドラマがあるというところもおもしろい。どういうことか説明するとドラマの妙味が半減するので割愛。
 
 チャーリー役フローレンス・ピューにスカルスガルドが絡んで息もつかせぬスリリングな展開が約200分、第5話までつづく。ピューなどと耳障りのよくない名に違和感はあるけれど、10年に一度の逸材である。
 
 2003年「真珠の耳飾りの少女」で18歳にして一躍スターダムに躍り出たスカーレット・ヨハンソンと較べて性的魅力も乏しく、容姿もたいしたことはないのに何故逸材かといえば、裏表がなく、明るく、行儀がよく、ものおじせず、へこたれない主人公を芝居を感じさせず見事にやったからだ。
 
 チャーリーのせりふは辛口なのに笑ってしまうという英国流。ドラマ撮影時は21歳、その若さで芸が精練されている。天性の素質があるのだろう。スカルスガルドとの短い濡れ場は乳房すら見せないが官能的で、演出、撮影も効いている。
 
 第5話に入るとチャーリーがかわいそうになってくる。しかしドラマは容赦しない。そこもうまい。脚本、演出、役者がかみあっているからだ。役を本気で愛し、本気で憎み、しかし複雑な愛憎をあらわにせず、役の人生を生きる。
 
 チームリーダー役のマイケル・シャノンからもスカルスガルドからも、「ここでやめてもいいんだよ、やめてロンドンの舞台にもどってもかまわないぞ」と言われる。
役者もスパイも舞台に立てば命がけであることに変わりはない。死神に催促される前に差し出してもいいと覚悟できるのか。大きなよりどころがあれば人はスパイにさえなれる。チャーリーの顔にそう書いてある。
 
 ところが6話〜7話で失速する。荒野につくられたテロリスト養成所の描写が単調。テロリストの訓練をうけるチャーリーからの連絡が途絶えたものの、ヘタに動くと、もともとヨーロッパの人間を信用しないアラブ人の疑念を深めてしまい、チャーリーを危うくするかもしれず、行動をひかえている。が、テロはいつどこで起きるかわからず安穏としていられない。
 
 テロリスト一味のヨーロッパ側協力者の名前も顔も居場所も把握しているが手を出せないという脚本でなく、養成所の模様と並行してイスラエルチームが隠密裡に行動をおこし、協力者を締め上げる。それでチャーリーの身に危険が及ぶという筋書きのほうが緊迫感が出て、テンポもよくなるだろう。チームメンバー5名のうちサブリーダー的男性と中年女性の見せ場はある。が、ほか3名の見せ場がすくない。役者はそろっている、筋書きに一工夫ほしかった。
 
 打楽器ドラムの奏者ドラマーという意味で原作者ジョン・ル・カレがタイトルをつけたとは思えず、「Drummer」を辞書で引いた。英俗で「泥棒」&「住居不法侵入」の意(三省堂グランドコンサイス英和辞典)。鉄道俗で「貨車操車場の車掌」の意(研究社リーダーズ英和辞典)。
ジョン・ル・カレは英国人。MI5やMI6の職員として西独での勤務経験もある。ドラマーは意味深長。
 
 フローレンス・ピューを初めてみたのはWOWOW放送の米英仏合作映画「トレイン・ミッション」(2018年公開)。ロケは2016年7月、英国バッキンガムシャーで始まったらしい。列車の乗客全員が粒ぞろい、各々の役どころを心得ている。
ピューは乗客のひとり。金髪の一部をピンクに染めている。端役で名も知らない女優だが自分の顔を持ち、存在感もあった。そのうち主役級のオファーが来るだろう。しかし当方も年だ、新進女優のことはすぐ忘れた。
 
 2016年、フローレンス・ピューは「LADY MACBETH」という英国映画で主演している。そのうちどころかすでに主役である。舞台は「嵐が丘」を想起させる19世紀ヴィクトリア時代の北イングランド。年老いた男と愛のない結婚をした若妻役で彼女は高い評価をうけたという。
そして2018年、英国のテレビドラマ「KING LEAR」ではアンソニー・ホプキンスのリア王の三女コーディリアをやっている。長女はエマ・トンプソン、次女はエミリー・ワトソンなどそうそうたる顔ぶれ。娘3人のうち最も魅力的で重要な役がコーディリアであることはいうまでもない。「レディ・マクベス」も「リア王」も本邦では上映されず、みていない。
 
 「冬のライオン」(1968 英)のリチャード役(後の英国王リチャード1世)が映画初出演だったアンソニー・ホプキンス(30歳)は、主役の大女優キャサリン・ヘプバーン(61歳)から「これからもそのままでいい」と言われたそうだ。説明の要はないだろう、演技を感じさせないハラをすでに示せたということである。フローレンス・ピューの活躍を期して。