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英国映画をみる楽しみは沢山ある。その一つに登場人物が以前みた映画やドラマでどんな役をやったかを思い出すこと。英国の俳優は容貌の経年変化はなんのその、役ごとにイメージを変える。役柄によって別人物になりすまし、鑑賞者をあざむくのが英国流。2024年5月30日、英国映画「ロスト・キング」をみた。
シェイクスピアの戯曲「リチャード3世」に描かれた英国王リチャード3世は史上まれな悪王だったのか。シェイクスピアの書いたように容姿は醜く、性質も残酷だったのか。少年2人(エドワード5世とその弟)をロンドン塔に幽閉して殺したのか。
歴史は征服者によって書き換えられる。前王に勝利したと書き記すことで後世の人々の記憶に残るならまだしも、前王が冷酷非情であると史料に書いて、そういう逆賊なら滅んで当然という印象を人々に与えるやり方は曲解のもと。
「物語 イギリスの歴史(上)」(君塚直隆著)の「リチャード3世の実像」というコラムに、「このような容姿であったという証拠はない。むしろ背も高く、屈強な体躯に恵まれていたらしい。(中略) 実際のリチャードは、兄王エドワード4世からも信頼を寄せられ、劇中にみられるような殺戮の証拠はいっさいない。」と記されている。
不撓不屈の兼業主婦フィリッパ・ラングレーの直感と情熱がなければ、2012年8月25日の「世紀の発見」と謳われる発掘はなかった。DNA鑑定の結果、2013年2月、遺骨はリチャード3世であると判明。シェイクスピアの戯曲に踊らされた歴史家はどう釈明するのだろう。自説を曲げない史家は少なくないと思われる。
フィリッパがたどった道は興味深い。1998年に買った一冊の本にシェイクスピアのリチャード3世とは異なる人物像が描かれていたことが彼女の情熱をかきたて、リチャード3世に関する書を読みあさり魅了される。彼女が「墓を訪ねてみたい」と言い、「墓はない」と言われ、「私が墓を見つける」と決心した瞬間から歴史は塗りかえられていく。
映画は随所にユーモアが散りばめられ、テンポよく進む。フィリッパは発掘の資金集めに奔走し、小さな寄付を広範囲にわたって呼びかける。主人公フィリッパ・ラングレーにサリーホーキンス、リチャード3世にハリー・ロイド。
ハリー・ロイドは長編ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」で愚かな兄ヴィセーリスをやった。勇敢な妹役・ドラゴン(空飛ぶ恐竜)の女王デナーリスを演じたのはエミリア・クラーク。
あれから12年、失態を重ねる役をこなせても未完成だった兄は、せりふは少なくても秀逸な芝居をする役者に変身。サリー・ホーキンスとの場面(上の画像)が場所をかえ何度もあって、なんともいえずうまい
遺骨発掘の最大の功労者は彼女で、栄誉は彼女に与えられるべきなのに、いいとこ取りをする輩がいる。おおむね組織の上にあぐらをかく人間が、上司のご機嫌とりのためにしゃしゃり出るのだが、そういう連中に腹が立ってくる。
所詮映画ではないかと言うなかれ、現実は往々にしてそういうものだから尚更。そこからのシーンもさすが英国。フィリッパは名もない女学校の講演に招かれ、いいとこ取りの彼らは盛大に記念式典を開催。
だが2015年、リチャード3世の遺体発掘と特定という功績に対してフィリッパはエリザベス女王から大英帝国勲章を授与され、リチャード3世の遺骨もレスター大聖堂に手厚く埋葬された。彼は正統な英国王として認められたのだ。
行ったことのある町の風景がスクリーンに映しだされると、年のせいか泣けてくる。フィリッパが暮らしたエディンバラの旧市街、ウェバリー駅の近く、カールトン・ヒル、エディンバラ城。そうした風景をみるだけで時を忘れ、報われる。
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