2022-08-17 Wed
沈黙のレジスタンス 米英仏合作2020 

 
 パントマイムの神さまと呼ばれたマルセル・マルソーの若いころの実話をもとにした映画「沈黙のレジスタンス」(約2時間)。
 
 パントマイムを初めて見たのはいつだったか思い出せないが、ヨネヤマママコがテレビで演じたパントマイムはさほど感心しなかった。マルソーは日本でも公演した。マルソーのパントマイムをテレビで見てしびれた。静と動のコントラストがあざやかでコミカル。時に悲劇的であり、言葉を発さず人間や動物をムダなく的確微細に表現する芸に圧倒された。
 
 マルセル・マルソーはストラスブール生まれのフランス系ユダヤ人。数代前から肉屋を営み、マルソーの父親も息子が肉屋になることを望んでいた。しかし息子は俳優志望。時は1930年代後半、ナチスドイツがポーランドに侵攻、フランス陥落も間近。マルソーは親のいないユダヤ人の子どもを密かに国外へ逃がす役目。
 
 マルソーの対談「パントマイム芸術」(未来社)に、「チャップリンが大好きでした。映画をみて帰ってきてはまねをしていたものです。人生は演劇でした。大通りにも路地にも、廊下にもわれわれの空間がありました。工芸学校に入ってから演劇について夢みました。
1943年だったと思いますが、父はゲシュタポにつかまって追放されます。私はリモージュからパリへ逃げ、レジスタンス運動に加わりました。いろんな年ごろの親なし子120人いて、私は絵と芝居の先生になったのです。19歳でした」。
 
 マルソー役のジェシー・アイゼンバーグは映画「ソーシャル・ネットワーク」と「グランド・イリュージョン」をみたが、セリフをまくしたてるので、早口の俳優という印象しかなかった。コミカルな味は出せるだろう、が、若いころのマルソーといっても、パントマイムを彼にこなせるだろうか。レジスタンスの一員として戦時中のシリアスな人間を演じきれるだろうか。
 
 彼が役づくりで最も時間を割いたのはパントマイムだ。ジェシ・アイゼンバーグはマルソーには遠く及ばなくても、稽古に稽古をつんで銀幕の前の客にみてもらえるまでの芸を修得した。10代後半のマルソーも後のマルソーほど巧みにパントマイムができたわけではないだろう。子どもたちにパントマイムを見せるシーンは序盤のみどころとなった。
 
 前半でマルソーが子どもたちに木登りを指導する。単なる木登りではなくリスのように枝に化ける。いうまでもなくこれが伏線となっている。
敵から逃れなるときは子どもたちも必死。列車に乗りこむナチスが彼らを追い込む。あわやというときイキなせりふを将校に言って助ける老人。危機の連続。よくできたドラマは展開を読ませる。読んで当たればよし、外れればやられたと思える。
 
「芸で食べてゆくのはタイヘンだ」と言っていた父が舞台で歌うのをマルセルは目にする。オペラ「リゴレット」でマントヴァ公爵の歌う「女心の歌」。1999年10月、プラハ国立歌劇場でみた「リゴレット」を思い出した。
 
 子どもが明るさをとりもどせるように芸をみせたマルソーは、ストラスブールから行動を共にしてきた女性に、「人生は美しく、分かち合うものです」と言う。20世紀はそういう時代だった。さまざまな思いが駈けめぐり、筆が進まない。
 
 パントマイムの動きは溌剌として滑稽な子どもの動きに似ている。マルソーは子どもを観察しパントマイムに生かしたのだろう。映画制作にあたって監督は自分の子ども時代の思い出をたどったのかもしれない。
ふるさと、近所のいた人々、一緒に遊んだ子どもたち。そしてジェシー・アイゼンバーグも子どもの気持ちに帰って演じたのかもしれない。主役の芝居がいままでになく冴えていたのはそのせいだと思える。
 
 英国やフランスが制作にかかわると子どものつかい方がうまい。子どもの純真な目におとなは惹かれる。子どもは泣いていないのにおとなが涙する。名作は子どもが主役でなくても重要な役目を担う。おとなは脇役にすぎない。懐かしい時代がよみがえる。