2020-03-21 Sat
コンドルとザ・ギルティ

         ↑「コンドル」の出演者たち
 
 
 1月24日、「フィッシャーマンズ・ソング」をみた後、武漢の新型コロナウイルス報道があり、1月下旬以来、映画館はもちろん、やむをえない食料品店、日用雑貨店を除いて人の集まる場所へ行くのを避けている。特にチャイニーズが来そうな観光地、大型家電店はタブー。自宅付近の軽い散歩は続けているけれど、ほとんど家でくすぶっているので、ホームページ更新のはかどること。
 
 劇場は風通しもわるく、換気もよくない。コロナウイルス感染は飛沫感染によってのみ感染するのではない。くしゃみなどで飛ぶ飛沫よりさらに小さな(100分の1ミリほど)マイクロ飛沫は、約20分間空中をただよう。
 
 劇場などで舞台を見ていると、特に贔屓の俳優が出ていて、ここぞというシーンがくると人はエキサイトし、息が荒くなったり、公演が終わって一緒にいる人と話す場合、つい大声になる。そういうとき口腔から出てくるのがマイクロ飛沫である。
感染経路不明の感染者はマイクロ飛沫が関係しているかもしれない。感染は人から人へ広域におよぶ。現在、新型コロナウイルスは解明されていないので警戒に越したことはない。
 
 2ヶ月ほど映画館へ行っていない間に、みたいと思っていた洋画が上映され終了した。「9人の翻訳家」(仏・ベルギー合作)、「母との約束 250通の手紙」(仏)、無人島で発生した謎を描いた「バニシング」(英)。
2020年3月20日の時点で上映されている「盗まれたカラヴァッジョ」(伊)。幻の名画にまつわるミステリーを描いた「ラスト・ディール」(フィンランド)もみに行きたかった。好事魔多し。コロナ終息まで映画館行きは中止。それでどうしているかというと、以前WOWOWで放送された連続ドラマや新作映画をみている。
 
 自粛中いつもより数多くヨーロッパ関連の報道をBS1ほか民放各局でみてきた。BBC、フランス2などの海外ニュースは特に問題ないとして、外出禁止令が発令された現在ならいざ知らず、3月半ばのある晴れた日、早朝のエッフェル塔前を数人が往き来する映像を流して人出が絶えているとTBSやテレビ朝日はいう。ミラノもヴェネチアも同様。
 
 人の影が長いので朝早いのはみえみえ。そんな時間に大勢の人が歩いているわけがない。視力に異常がなければ、もしくは、よほどの注意力散漫でなければ、朝の光や人影、建物の影を見逃しはしない。制作国日本の民放ニュースはときに劣悪なサスペンスよりできがわるい。小細工せず、映像・画像の下部に撮影日と時間を貼っておきなさい。
 
 映画、ドラマはみること自体が経験であり、評にかかるかどうかはみなければどうにもならず、インターネットで知識・情報だけを追う人間がみもせず評してボロが出るのは、経験せず登山を語るのと同じ。まずはみて、それからだ。ありていにいうと、栄養豊富で経験欠乏症の若者は、みるべきのもをみておらず、見落としが多い。
 
 昔は荻昌弘のような確かな洋画評論家がいて、中学生だった小生は彼の解説をみたり読んだりするのが愉しみだった。荻昌弘の若いころ勤めていたのは「キネマ旬報社」。同時期、別の映画雑誌出版社で働いていたのが向田邦子。
 
 「コンドル」(原題 Condor)はかつてロバート・レッドフォード主演(1975 米 約2時間)で一般公開された映画。それを新たに1話50分弱・全10話(8時間)の連続テレビドラマとしてカナダで制作され、2018年6月米国で放送。
この種のドラマに屁理屈をこねてアラ探しする人は何にでもアラを探す。アラばかり探していると全体が見えないどころか細部も見えないだろう。アラがおいしい身であったりする、タイのあら炊きのように。
 
 WOWOWでは2019年1月1日〜2日「コンドル 狙われたCIA分析官」のタイトルで放送され、そのときみたのをダビングし、1年以上たった先日再びみた。「ザ・ギルティ」(2018 デンマーク)は2019年一般公開された。
 
 伴侶と小生はミステリーとスリラーファン。暮らしが長続きしている理由は、就寝前の約2時間、録画(またはダビング)したミステリードラマ、あるいはスリラードラマをふたりでみているからかもしれない。スリラーとホラーを混同する人は当HPに来ないと思うが、ホラーはすぐ底が割れるのでみる気にならない。
 
 某放送局でやっていた「名探偵ポワロ」、「ミス・マープル」、「修道士カドフェル」などのミステリーを贔屓し、間をおいて民間局のサスペンス「24」を、それからあとはWOWOWの「主任警部アラン・バンクス」(英)、「ブロード・チャーチ」(英)、警察署長ジェッシー・ストーン」(米)、「埋もれる殺意」(英)、「刑事モース」(英)などミステリーの傑作をみてきた。
以前「書き句け庫」2018年10月に「ミステリードラマ」として書き記したのであったが、新たに秀作が登場。おかげで伴侶と気まずくなったとき、いまのところ事態を長引かせずにすんでいる。
 
 「コンドル」の主役は英国の名優ジェレミー・アイアンズの息子マックス・アイアンズ。面立ちは父にたいして似ず、演技は父とほど遠いけれど、先でいい芝居をするかもしれない。映画「黄金のアデーレ」はヘレン・ミレンの若いころの夫役をどうにかこなした。「コンドル」のCIA分析官は役柄が合っている。
スマホの出会い系サイトで連絡をとった女性とバーで会い、束の間の会話をする。二枚目で背が高くてもそういう方法を利用するのは、性格が消極的で、面倒くさいからである。女性は乗り気なのだが、必然的にデートはうまくいかない。会った場所から女性の家が近く、彼は家まで送っていく。
 
 CIAが隠れみのにしている小さな事業所が突然襲われる。襲ったのはすご腕男女の殺し屋ふたり。あっという間に10数名が狙撃される。生き残ったのは主人公のみ。相手は彼の身元も住む家も知っている。家に帰るのは危険すぎるし、親しい同僚は殺された。誰も信用できない。
彼が向かうのはスマホデートの女性の家。いつのまにか殺人者ということになってテレビ報道される。自宅に迎えいれた彼女はそれをみて凍る。彼の躍起になっての言い訳も耳にはいらず、騒ぐので仕方なく両手を縛る。そこまではありふれている。そこからの進捗がおもしろい。死神は突然やって来る。
 
 妙味は各シーンにあり、最も魅了されるのは若い女殺し屋。パレスチナ人のようなユダヤ系のような、かつてイスラエルの諜報機関モサドのメンバーだった殺し屋は、サイコキラーで色情狂という設定。
しかし色情狂に関してはさらりと流している。欧米の映画、ドラマで女殺し屋は何人も見てきたが、こんなに魅力的なのは初めて。ジャッカル(F・フォーサイスの作中人物)のように神出鬼没。
 
 とにかく芝居がうまい。濡れ場に大胆さを期待する向きは期待はずれ。不敵な面構えが迫力を生み、美人というほどではないけれど、表情も顔色も変えず静かで、ちょっとした瞬間に渇きと潤いを感じさせる表現力が卓越している。写真で見ると彼女はパッとしない。動作が加わるとよく見え、せりふなしの場面も顔で演技する。口元からあごにかけてが特徴的。
 
 10話ともなると陳腐な、あるいは緩慢なシーンがないわけではない。要はドラマ全体をながめるとき、緩急があるかないかだ。語られるべき会話、口舌は訴えたい事柄によって長短を決し、飛ばすべきは飛ばし、たたみかけるときはたたみかける。すぐれたドラマはその区分けがしっかりしており、バランスもいい。
主要人物の過去をフィードバックするのは人間が過去の累積であるからだ。過去を語れば彫りが深くなり、くっきりする。「過去なんて気にしない」という会話は恋人同士でやってもらいたい。
 
 あれは誰であったか、人は過去の幽囚であり、過去は人の幽囚であると言ったのは。自分の過去に復讐しているような殺し屋もいるが、彼女は報酬額で動く徹底的なリアリスト。幽囚の雰囲気を持っているにもかかわらず卒然として冷酷。ムダなく素早く動き、それゆえ余韻が残ってあざやか。
 
 話が進むうちに女殺し屋はいつ、どのシーンで、どのように登場するかが気になってくる。FBIの捜査が入る場面に登場しても堂々としており、捜査官は不審に思わない。
彼女を狙う者たちがあらわれ、殺し屋に危機も何もあったものではないけれど、窮地をどう脱するか。経験から得た瞬時の判断で脱することもあれば、偶然助かることもあり、偶然の描写が自然。キャスティングと演出の面目躍如である。
 
 ドラマの裏で途方もない陰謀が進行する。1979年11月20日におきた「カーバ神殿占拠事件」でCIA関与説が一部に流布され、ドラマの終盤はそれをモデルにしている。しかし、見かけの割に中身の薄い「占拠」という手法は除外され、スリリングな展開。カーバ神殿のカメラワークもいい。
 
 ドラマに入りこむと、第一感で不死身だと感じた女がいつ殺られるのだろうとか、大勢を殺ったのだから、ひとつくらい人のために役立つことを死ぬ前にやってもらいたいとか、いや、やっぱり死ぬなよ、死なれてはまずいと思ってしまう。
 
 女殺し屋をやっているのはリーム・リューバニ。ナザレ(イスラエル)出身ということだが、面立ちはパレスチナ系アラブ人のようにもみえ、どこか謎めいている。
2019年末時点でリーム・リューバニは22歳という。うまい俳優は若くてもうまい。10話で終わったが続編をやるべきだ。出演者はほかにウィリアム・ハート、ブレンダン・フレイザー、ミラ・ソルヴィーノなど。
 
 さて「ザ・ギルティ」(2018 デンマーク)である。WOWOWで2020年2月27日に放送された。主人公の男(ヤコブ・セーダーグレン)はコペンハーゲン近郊の緊急時・通報指令室に勤務している。事故や犯罪にからむ電話がくれば早急にパトロールの警官を派遣するのが仕事。必要なことを問いただし、無駄口をたたかない。相手の顔は見えず、現場の状況は会話から判断するしかない。
 
 映画の進展とともに男の過去が明かされてゆくが、回想シーンはなく短い説明にとどめており、ほかのスリラーものとちがって、米国人が好むカーアクションなどは一切なく、スタートから終了まで約90分、一気にたたみかける。
映像に出るのは、相手との会話、周囲の音声、かすかなため息、騒音だけ。音をたよりに事件を解明する。登場人物は彼以外に男2名。2名のせりふはないも同然で、会話の相手は最後まで画面にあらわれない。
 
 ヤコブ・セーダーグレンは連続ドラマ「北欧サスペンス・凍てつく楽園」(スウェーデン)の主役刑事をやり、そのときはうまいと思わなかった。「ザ・ギルティ」は別人のようにうまい。うまさの質がケタちがい。
脚本と、主役ひとりの芝居のうまさだけでドラマを引っぱるのは相当難しい。彼は指令室から動かないのだ。配給会社のキャッチコピーは大げさすぎる。宣伝文句のような意外性はないし、容易に推理できる。しかし迅速な展開と主役の芝居が、おもしろさと相まって退屈のかけらも感じさせず、始まったと思ったら終わっていた。スリラーの秀作である。