8   文楽の夕べ
更新日時:
2007/03/27 
 
 やや古い話になるが、平成18年11月29日午後6時半、大阪厚生年金会館芸術ホールで「文楽の夕べ」と題して対談があった。竹本住太夫と片岡仁左衛門である。
住太夫は十三世片岡仁左衛門(当代の父)と親しい交流があった。十三世の父・十一世片岡仁左衛門も文楽への造詣が深く、いや、造詣などという軽いものではない、大の文楽好きというほうが適しているだろう。
 
 仁左衛門は翌30日、南座顔見世初日を控え、南座で舞台稽古したあと駆けつけた。
 
 歌舞伎の義太夫狂言に対して人形浄瑠璃を本行(ほんぎょう)という。本行は根本とか本源を意味し、本来は能、狂言を指すが、歌舞伎が人形浄瑠璃を重んじる気持ちがそう呼ばせたのである。仁左衛門三代(十一世、十三世、当代)は本行を重んじた。義太夫狂言の基本は人形浄瑠璃という考えを基本とした。本行の太夫や三味線弾きに浄瑠璃の指導を請うた。
 
 歌舞伎の舞台に上がる太夫、三味線は本行の人たちに較べると数段落ちる。失礼な言い方かもしれぬが事実である。何度も文楽を聴きに(みるのではない)いった人なら誰でも知っていることだ。だから住太夫は客席でしかめっ面をする。それを役者は舞台からみている。
役者が客席をみているのに気づかない客もいるが(1階席前方にいれば気づく)、よほどの近眼役者は別として、たいていの役者はみている。みるだけでなくきいている。
 
 坂田藤十郎や沢村田之助、団十郎、三津五郎などは目も耳もよい。多くの客が集中してみていれば、あるいは、客席前方で集中してみていれば、客の気が役者に伝わる。気を大切にする代表格は猿之助で、講演のたびに「気」という言葉を繰り返しいっていた。幕ノ内弁当が楽しみの団体客はロクすっぽ舞台をみておらず、気がダラけている。そんなときは役者もダラけることがある。
 
 団十郎は時々薄目を開けて客席を盗み見している。「阿古屋」の畠山重忠をやったとき、阿古屋の玉三郎が三味線、琴、胡弓の三楽器を演奏している間(これが割と長い)、自分は何もせずただ聴いているフリゆえ退屈なのであろうか、あるいは、客席が気になるのだろうか、客席をチラっと盗み見するのだ。あの大きな目である、薄目も人より大きい。
 
 三津五郎にいたっては、最近はそんなことはないが、つい八、九年前は最前列の客が居眠りを続けていると露骨にイヤな顔をした。そりゃそうだろう、そのおばあさん、役者のセリフのないときは起きているのだもの。子守歌がわりにする客はけしからんという塩梅だ。
 
 田之助はいつだったか、松竹座で「引窓」のお幸を演っていたとき、1階席前方に座していた私の家内をチラチラ盗み見して、自分の番がまわってきたらずいぶん間があって、おまけにセリフを間違えた。
 
 対談で仁左衛門が語っていたのは、「前の席でお年をめした女性が、隣の女性に筋書きを説明なさってる。舞台にはっきり聞こえる声で。板の上にいる役者の説明もされてるのやけど、役者名を間違えてはる。あんまりやかましいので、或る役者さんが人差し指を口に当てシーっと言うたら、『しゃべったらアカンねんて』とおっしゃていました。」
 
 住太夫は、「上演中に席を立ってウロウロされるのも気になりまんな。消えはったと思えば、しばらくしたら戻ってきてウロウロしはる。浄瑠璃語っていると気になってしようがない。お手洗いは演目がはじまる前に行きなはれと言いたい。」
 
 「文楽とか歌舞伎は教養やおまへん。ただの娯楽です。娯楽やから肌で感じてもらいたい。ストーリーとか語りはわからんでもかまへん。みてるうちになんとなくわかる。古典やいうけど、文楽・歌舞伎の演(だ)しものは当時の三面記事でっせ。格調の高いもんでも難しいもんでもない。」
 
 歌舞伎の醍醐味は理解することではない、感動することであり、役者の芸に酔うことなのである。そういう力量をそなえた役者の芸をみることなのである。同じ狂言(演目)でも役者がヘタだと感動もなければ酔わせてもくれない、理解はさせてくれるが。(文楽の場合は「役者」を「太夫」、または「人形遣い」に置き換えてください)
 
 住太夫の話を続ける。
 
 「東京からみれば関西訛りやいうが、逆や。京の都からみれば、訛っているのは江戸言葉のほうです。そやから私は言いますねん、この人(仁左衛門)の子供の言葉も、藤十郎の子供の言葉も訛ってる。」
 
 「藤十郎やこの人にたのまれて、子らに義太夫教えたことがあった。お菓子はお子と言わなあかんのに、菓子と言う。なんべんやっても菓子や。お菓子か可笑しかわからへん。」
 
 「近ごろの評者はあきまへん。なんでもほめる。そやからみな天狗になる。客もすぐ拍手する。特に東京の客はそや。なんべんも拍手されると、はよ終われと催促されてるみたいな気分になる。関西の客は厳しい。そんな芸に手なんか叩けるかいう顔してる。そやさかい芸が育つ。」
 
 「文楽も歌舞伎も戦中戦後はたいへんやった。映画全盛時代は閑古鳥啼いていました。先代(仁左衛門の父)も苦労しはった。この人(仁左衛門)が映画に出たとき渋い顔してはった。とうとう孝夫も映画に出よりましてね言うてた。それに較べりゃ今はええ時代。良すぎて悪い。」
 
 「松竹からタダ券まわってくるけど、私はタダで歌舞伎はみまへん。みたい席でみます。目のええ田之助が舞台からよう見とる。お師匠さん(住太夫)、床(歌舞伎の浄瑠璃)がヘタやからしかめっ面してはる言うてね。」
 
 上方歌舞伎の擁護者・竹本住太夫、客の気に乗って自在に語ってくれた。これはその抜粋にすぎません。
 
※この小文は「今日のトピックU」2006年12月1日に「最後の砦」として記した文の一部を訂正加筆しました※


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