6   2007年7月松竹座 仁左衛門の「女殺油地獄」
更新日時:
2007/07/31 
 
 7月松竹座・昼の部「鳴神」終演後、海老蔵が風呂で転倒、ガラスを蹴り割り、救急車で運ばれ、足を15針縫うという椿事が勃発したのは13日の金曜だった。
 
 夕方、それを知って戦慄が走った。海老蔵演じる鳴神上人、義経、与兵衛の代役はだれがつとめるのか。役者の顔ぶれからみて、愛之助、薪車に割り振られることは間違いない。しかし、そうなると愛之助は出ずっぱりで身が持たない。さまざまな想いが駆けめぐったが、答はすでに座頭・仁左衛門が出していた。
 
 毎日新聞記者・宮辻政夫によれば、仁左衛門は薪車に『義経の芝居を覚えとき』といい、愛之助には『鳴神を勉強しといてくれ』といったそうである。舞台に上がるまで数十分の余裕しかない薪車は、仁左衛門から指名された嬉しさ半ばのまま、間違ってもしかたないと肚をくくった。
 
 「鳴神」は翌日「昼の部」最初とあって、「夜の部」終演後、愛之助は海老蔵の宿泊先の一室を訪ね、午前零時すぎまで鳴神の指導をうけた。鳴神上人はむろん、愛之助初役である。
痛み止めを飲み、薬が効いていれば眠くなったかもしれない海老蔵は眠気どころではなく、両眼は爛々と冴えわたっていたであろうし、愛之助も休憩どころではなかった。教えるほうも教わるほうも丁々発止というものではなく、火の出る稽古であったろう。
 
 誤解を懼れずいうと、舞台の鳴神よりその光景をみたかった。自分を殺し、自分を生かす役者の真摯な場面を。14日「鳴神」開幕時、『生きた心地がしなかった。あんな恐ろしい思いは初めて。』と愛之助は思ったという。実感である。
 
 
 さて仁左衛門である。「女殺油地獄」の与兵衛は自ら代役をつとめることにした。平成10年9月、歌舞伎座でやったとき、「そろそろ終わりかな。年をとっても芸でみせる役ではない」と語っていた仁左衛門。
与兵衛は19歳、実年齢と違いすぎるからという見識も、代役は休演した役者よりランクが下の役者という不文律も超越した。仁左衛門の真骨頂というほかない。
 
 7月13日夜、「女殺油地獄の与兵衛は仁左衛門が代役をつとめます」という場内放送に客席がどよめいたのは、海老蔵の突然の休演と、仁左衛門の身体を気遣いつつもその気迫に驚きを隠せない気持ちと、仁左衛門の与兵衛に逢える喜びとが交錯したどよめきである。
 
 しかし、だれよりも仁左衛門のすごさを感じていたのは芝居をともにする役者たちである。「身替座禅」で山蔭右京をやった直後、たった15分というわずかな幕間で「女殺油地獄」の与兵衛をやるのだ。「義経の芝居を覚えとき」といわれた薪車は、ここで初めて仁左衛門の途轍もない大きさに思いが至ったのではなかろうか。
 
 昭和39年7月、20歳の孝夫が大阪朝日座で「油地獄」を初演したとき、お吉は泉下に眠る嵐徳三郎(当時はひと江)。うまい役者だった。自然に女声が出ていた。お吉に欠かせないコクと艶、豊満さを併せ持っていた。
お吉と与兵衛の関係は恋に似て非なるものであっても、魔のさしようで姦通となりかねない危うさもある。そういうハラでやるから客はハラハラする。孝太郎のお吉はそこが薄味で素っ気ない。
 
 仁左衛門の与兵衛はその点ぬかりがなく、お吉を8歳年上の姉さんと慕い、しかも、艶然としたふうでお吉を見やるようすも決まり、花道の引っ込みも若々しさにあふれ上々。この人の身体にしみついた上方和事の芸風、そして工夫を重ねてきた芸の在りようを思えば、当分のあいだ、仁左衛門に匹敵する与兵衛は出てこないだろう。
 
 徳兵衛の歌六が手堅い。上方出身の曾祖父・三世中村歌六の血であろうか、与兵衛の義父でありながら父子の情愛をみせて、難しい老け役を難なく成し遂げた。実母おさわの竹三郎は手の内。お吉の夫・豊嶋屋七左衛門の愛之助はまずまず。
 
 与兵衛を短絡的で向こう見ずな若者と決めつけるのはたやすいことで、しかし、それだけなら近松もわざわざ人形浄瑠璃の台本を書かなかったろう。互いに好意を抱いている者同士が、どうしてこうも心がねじれ、離反してゆくのか、互いの智慧を出し合いもせず。金への妄執に人はどこまで取り憑かれるのか。人間の本質は何か。それこそ近松が本作で問いたかったことであろう。
 
 豊嶋屋油店の場で「門口で蚊に食われ、親の愁嘆長々きいておりました」の与兵衛のセリフ。そして、「死ぬにも死なれず、というて生きてもゆけず」の、お吉に借金をせまる与兵衛のウソの嘆きと解されてきたのを、仁左衛門はある時期(四回目あたり)に、ほんとうに与兵衛は改心するつもりなのだというやり方にした。仁左衛門曰く、「新聞の三面記事にも、よくこういう人が載っています。」
 
 近松はそれを聞いて快哉と叫んだかもしれない。仁左衛門は義太夫本の読みが深いだけでなく、人間の情を自然の流れに逆らわず読む術に長けていると。それはさておき、人形ならともかく、役者が演じる場合、お吉は色気と豊満さが身上であり、それがゆえに殺される酷さ、哀れが引き立つのだ。
 
 本行の、お吉殺しの場はこうである。
「なむあみだぶつと引き寄せて右手(めて)より左手(ゆんで)の太腹へ、刺いてはえぐり抜いては切る。お吉を迎いの冥途の夜風、はためく門の幟(のぼり)の音、煽(あう)ちに売場の灯も消えて、庭も心も暗闇にうち撒く油、流るる血、踏みのめらかし踏みすべり、」。
近松門左衛門ならではの名文である。読みが深いとすれば、文楽をしばしば見、義太夫になれしたしみ、近松を身近なものにしているからだ。仁左衛門会心の与兵衛である。


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