5   2011年2月松竹座 通し狂言「彦山権現誓助剱」
更新日時:
2011/02/22 
 
 「ひこさんごんげんちかいのすけだち」と読む。仁左衛門が松竹座を通し狂言の場に決めたは、決定にかかわった興行主や共演者、そしてほかの理由如何にかかわらず関西在住の仁左衛門贔屓にとって慶報。歌舞伎座建て直し工事の賜物でもある。工期はゆっくり十年ほどかけてもらいたい。松竹座で仁左衛門が芯の通し狂言は平成11年3月「仮名手本忠臣蔵」、平成21年1月「霊験亀山鉾」。今回の「彦山権現誓助剱」は五幕九場。
四幕目の六助は仁左衛門初役ということで、「若手のような気分でいます。六助はとにかく底抜けに良い人なので、この人の素朴さ、朴訥さというものが出せればいいと思っています。今回は敵役・京極と(明智)光秀の関係を一切はずして簡単明瞭にしていますから、わかりやすいと思っていただけるのではないでしょうか。」という仁左衛門の言。常々「毛谷村」だけが単独で上演され、いくら筋書きを知っていても、下半身のない人間のようでつまらない。
 
 仁左衛門の出るのは四幕目「杉坂墓所」、「毛谷村」。杉坂墓所の場では絵に描いたような好人物・六助が母の墓参にきている。紅白の梅咲く早春の里山に溶け込む仁左衛門。梅のかぐわしい匂いが舞台に立ちのぼってくるようす、がんぜない子への慈愛にみちたまなざしは仁左衛門ならでは。自分の子ならああも上手にあやせないだろうと思ったり、仁左衛門の人柄なのかと思ったり、六助の明るさ実直さに心ほだされ、目は舞台に釘付け。
京極(愛之助)手配の山賊に襲われた佐五平(猿弥)に、仕えた主の遺児=愛する者=のために一肌ぬいで死ぬのは本望というハラがあって、開花しはじめた梅とあいまってこの場に命の息吹をもたらしている。うまい役者は待ちの姿勢、すなわち人のせりふを黙って聞いているときにうまさがでる。
 
 序幕・第一場〜第三場での愛之助。色悪・京極内匠は手の内。お菊(松也)に言いよっての口説き、お菊の左袖下にかがみ腰でもぐり込み、下半身を抱きよせるかたちに色悪が出て上々。お菊の身をくねらせる所作もいい。ただ、お菊の出方によっては手込めにしようという凄味に欠けるせいか、お菊のむんむんする色気が十二分に発散されない。
京極との奉納試合に勝ったためだまし討ちにあう吉岡一味齋(弥十郎)は過不足なく役のハラをつかみ、角々の決まりもいい。
 
 第二幕は一味齋居宅。ここから義太夫の語りも入る。一味齋長女・お園(孝太郎)の酔態に客席から笑い声がもれる。父(一味齋)が京極の鉄砲に撃たれて非業の死を遂げているのを知ってか知らいでか、駕籠の中の亡骸をみて、さすがの気丈夫の糸もぷっつり切れる愁嘆場。一味齋の妻・お幸に竹三郎。剣術指南の妻にみえないのが竹三郎の持ち味といえるのだが、やはりここは世話でなく時代に演じてもらいたい。この場のお菊(松也)はお園との比較上、小さくみせなければならない。その点、大柄の松也、腰高はいただけない。
 
 第三幕はお菊と恋人・衣川弥三郎(内縁の夫で二人のあいだに男子=上記の「がんぜない子」=をもうけている)との再会。弥三郎(薪車)は家老・衣川三左衛門(段四郎)の子。仇・京極内匠を討つため後事を衣川三左衛門に託して出奔したが、仇は行方知れず、路銀も底をつきかけあばら家に暮らしている。通し狂言でなければ仇討ちの苦労、悲惨は表出しがたい。前半を端折ってしまえば仇討ちはいかにも安易、だから通し狂言にしないとおもしろくない。
 
 釜ヶ淵の修羅場で松也が好演。京極のみせかけの改心をいったんは疑っても、ややあって信じてしまい、だまされたとわかるまでの流れに無理がなく、せりふ廻しも堂にいる。薪車もうまく付きあっている。朧月夜にだまし討ちされる者の無念、だます者の修羅が交錯する。
石仏の後背を背に坐し、足を組み踏んばる京極は仁王さながら。そしてまた、京極を追ってきたお園たちとのだんまりの場も利いて秀逸。花道七三からの京極の引っ込み。引っ込みかけてキッと舞台を振り返る。その絶妙の間。「間は魔である」と言ったのは六代目(菊五郎)というが、間のとりかた一つが役者と舞台の出来、不出来を左右する。愛之助、松也、会心の釜ヶ淵。
 
 第四幕の毛谷村。杉坂墓所で六助をだまし、剣術試合に負けるよう頼む京極に持ち前の人の好さで応じる六助。八百長の後、毛谷村の見所の一つは六助居宅に次々と人が訪れる楽しさで、京極内匠、一味齋女房お幸、虚無僧すがたのお園。虚無僧の花道の出は男女中間の足運びとの口伝があって、腰から上は女、歩き方は男というが、言うは易し行うは難しで、このあたりは役者泣かせ。
六助も各々登場人物も互いの関係を知らず(六助は一味齋が後継と見込んだ弟子。その時代にその種の慧眼は存在した)、お幸もお園も好き勝手なことを口走り、六助をふりまわす模様は時代を超える。特にお幸(竹三郎)と六助のやりとりは傑作。世話にくだけるところは竹三郎、手練れたものだ。凄惨な仇討ちにも涼風と快活はある。初々しい娘・お園が怪力で武道にも秀でているという話はいかにも人形浄瑠璃の戯作。ここの語りは近年のどに潤いと艶が増し、円熟の門をたたきはじめた葵太夫。義太夫狂言の解釈の深い仁左衛門が指名したのかもしれない。
 
 毛谷村のおもしろさは通しをみたらよくわかる。押しかけ女房ということばは毛谷村のお園から生まれたのかしらん。お園をやった女形で滑稽味はぴかいち、六助に見とれる「うっかり眺め」も馥郁として口説きもなめらか、孝太郎大健闘である。
彦山権現誓助剱は毛谷村で陽気な仇討ちに変身する。仕どころが少なく受けにまわることの多い六助、見終わって清々しさにあふれたのは仁左衛門のおかげ。六助は三拍子(声顔姿)そろったいい役者にかぎる。老け役に猿弥を、お菊に松也を呼んだのもよかった。


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