34   2003年3月南座 夜の部「源氏物語」その一
更新日時:
2003/03/06 
 平成十三年五月歌舞伎座で上演された、瀬戸内寂聴訳・脚本の「源氏物語」が南座で再演された。光源氏は二年前と同じ、新之助。あの時と違い、新之助の身辺には変化があった。それを舞台にどう生かすか興味津々、はたして結果は‥
歌舞伎のストーリーを事細かに記すのはタブー視されているのだが、今回は新作ものゆえ、可能なかぎり筋書を記したい。
    
  【須磨の巻】
 
 光源氏・花道の出。須磨に配流される道中、光源氏が馬から下りた時の、哀愁が舞台一杯に広がるえもいわれぬ風情は、すでに芝居の最大の見どころといってよい。伏し目がちの新之助に、流罪となった貴人の憂いがこぼれ落ちるかのようである。品格がみなぎり、流人の寂寞とした思いが心を打つ出色の出来ばえ。花道に亡き藤壺の霊(福助)が現れ、源氏の君は懐かしさとやるせなさで胸がいっぱいとなるのだが、その思い入れの表出に私は唸った。これがあの新之助なのか。
 
 須磨の光源氏の住まいの場も見違えるほどの出来。「惟光(十蔵)を励ましたのに、救いが欲しいのはこのわたしだ」のせりふから、「おのれのつたなさ、あさましさよ」、そして、「神仏の罪は我が身ひとつに受けねばならぬ」のせりふまで、新之助の真骨頂が十二分に発揮される。この人、いつの間にこんなにうまくなったのか。「源氏物語」上演の前に、瀬戸内寂聴とともに行った記者会見の席上、新之助は次のように語っている。
 
 「(心のなかの地獄とは)嘆き、つらさなどを自分でつきつめてゆき、どんどん落ちてゆくこと。その美しさが欲しいなと思っていました。さらには今回は光の心の月の満ち欠けみたいなものが出たらなあ、と思っています」
 
 三位の中将(正之助)の花道の出がいい。光源氏との再会を待ちに待ったという思いがあふれ上々吉。この役は正之助のニンである。都からの手紙を携えているのだが、それを早く光源氏に見せてあげたい気持を実に品よく表現する。そしてまた正之助は、せりふのない時の風情と面持ちがまことに理にかなっており、即ち自然で、風雅に富み、この人なら光源氏が親友として頼りにするのも当然というものを見せるのである。
 
 それにしても新之助、自分自身の私的な経験と「武蔵」の経験を経たことが従来になかった味とコクを身につけさせたのであろうか。芸をみがくのは舞台の上だけでなく、本人の好むと好まざるとにかかわらず、舞台の下でみがいたものまでもが役者の成長に寄与するのである。人は芸の肥やしとか言う、肥やしとは肥やしになった相手にはまことにもって失敬な物言いとは思うが、それなくして芸の上達は望みがたいのかもしれない。
 
 舞台はうつって紫の上(菊之助)との回想の場となり、光源氏の衣装の色も桜となる。ひな壇を思わせる壇上にふたりが上ったとき、うしろからため息が洩れた。「おひなさまみたい‥」。ここでの桜色も悪くはないが、まだ踊りのほうはお世辞にもうまいとはいえない両人がそれらしい色の衣装をつけると色負けする。美術担当が春めいた視覚効果を狙ったのは分かるのだが、桜色が災いして洋舞に見えてしまう。壇上のバレリーナではないか。
 
 次の場で須磨の光源氏館が落雷に見舞われる。稲妻の直後に宙乗りであらわれる桐壺帝の霊(団十郎)は見事。宙に浮かんだまま微動だにせず、毅然とせりふを言うのは骨が折れるだろう。それを苦もなく成している団十郎に市川宗家の役者魂をみたような気がした。引っ込みも垂直に上に上がるのではなく、水平にうしろに退く。大道具との息のよさもあろうが、団十郎の意気込みを感じさせるところだ。
 
 光源氏は父・桐壺帝のことば通りに行動する。呪詛、呪縛は平安時代の貴族に大きな影響を及ぼしたが、事は日本だけではないだろう、中世のヨーロッパにおいても、マクベスは魔女の呪縛に、ハムレットは父王(亡霊)の呪縛に縛られたのである。子を思う親の呪縛は悪魔ではなく奇跡を呼ぶ。そう信じるところから幾多の物語が誕生したことであろうか。
霊的な場面はいつも私を感動の坩堝に巻き込むのである。
 
  【明石の巻】
 
 出のたびに光源氏の衣装の色が違い、明石の巻・第一場の出の色は秘色(ひそく)、晴れた日の夕方、暮色に包まれたときのミスティ・ブルー、薄い水色に近い色である。桜色や薄紅より、かえってこの色のほうが内に秘めた色気が匂い立つ。光源氏と明石入道(団十郎)が碁を打ちながら軽い会話を交わす。団十郎はもともと不器用な人だが、ここの何気ない会話のなかに明石入道の人生が分かり、将来を暗示するような味わいが出て上々。実際の父子でもあり、何かと世間の話題にもなった直後なので、こういってはナニだが面白い。
 
 明石の君(福助)の気性は控えめだが強情、つつましやかであるが、内にたぎる情熱を秘めているという役どころ。福助は以前からこの役をやりたいと思っており、その旨寂聴さんに伝えていたらしい。瀬戸内寂聴自身がいっているから間違いはなかろう。
 
 明石は、本心を顔を隠すように隠しつつ、しかも本心にかかわる内的情念をハラで演じなければならない。沈黙しながらおしゃべりをする!のだから、並の役者には出来ない。福助にこの役が可能なのは、この人には曾祖父の五世歌右衛門に似てグロテスクな笑いが存在するからである。かなしさを押し殺して笑みをつくると、顔は苦悶でかすかにゆがむ。
 
 現実では我慢して素知らぬ顔をすることが多いので、相手に気づかれないこともあるが、舞台ではそういう顔をつくって客に見せねばならない。本当はハラで表情をつくるくらいのものが欲しいのだが、ここではまだ不足、福助にそういう姿勢はみられはするが。明石入道の妻は東蔵、この役は東蔵の手の内、上品でおかしみのあるオバタリアン。
 
 さて次の場、光源氏の衣装の色が「源氏物語」の新之助にもっとも似合っていた。藤である。今回の舞台に対する新之助の思い入れは尋常ではない。「やさしい女人の愛のこもったことばをききたい」と明石に言うくだりがあるのだが、この「ききたい」の部分に武蔵の力強さが出る、そこがまたいい。
 
 寂聴さんが、「歌舞伎座のときに、すぐうしろでみていたお婆さんが…といっても、わたくしより年下かもしれませんが…(寂聴さんは80歳のはずである)…『新之助さん、あなたはそのまませりふをいわずに、黙って立っているだけでいいのよ』、そうつぶやいていました」と、こぼれ話を紹介していた(03年2月21日・南座「おはなしと対談の夕べ」)。
 
 舞台に活けるたえなる花一輪、私はかつて南座顔見世観劇の折、桟敷を立って通路への扉を開けたとき、そこに団十郎の奥方と新之助が、贔屓とおぼしき老齢の女性と談笑していた光景を思い出す。あのとき新之助はまだ高校生の弱冠17歳だったが、南座の廊下に美しい花がはんなり咲いたようであった。あれから8年、新之助も変わった。
 
 華奢(きゃしゃ)なやさおとこが筋骨隆々、たしかに新之助は逞しくなった。逞しくなりすぎて、舞台やテレビでやたらと目を剥く癖が目立つようになった。本人は見得のつもりなのかもしれない、しかしあれは見得ではない、目ん玉をひん剥いているだけの話である。だがようやくそのことが新之助に分かってきたようである。だれが言ったか忘れたが、「新ちゃん、目を剥きすぎよ!」であったことに。      
 
                     (未完)


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