15   2005年4月松竹座 愛之助の奮闘「寺子屋」
更新日時:
2005/04/21 
 
 愛之助初役の松王丸である。最近とみに力をつけ、役柄のハラのそなわってきた愛之助、仕所の多い松王丸をどう演じるか。
 
 松王丸最初の出は舞台下手、乗ってきた駕籠から姿をあらわすが、その前に「ヤレ、お待ちなされ、しばらく」と声を発する。その野太い、これからはじまる試練に敢然と立ち向かってゆく男の声である。
どんな試練も乗りこえられない試練はない、それがたとえ最愛の者を失う試練であるにせよ、神仏は克服できない試練はお与えにならない。それこそが松王丸のハラである。
 
 歌舞伎にかぎったことではない、すべての演劇にいえることである、役のハラができているかどうか、その一点が客に感動をあたえるかどうかを決定づける。近年の愛之助は以前の女形から立役を受け持つようになった。それにともなって、叔父の仁左衛門の指導を受けることが多くなった。そのせいか愛之助の役に対する解釈が深くなった。
 
 「寺子屋」の松王丸は大役である。役のハラができていること、義太夫の語り、三味線の糸にのることが不可欠であり、その上にカドカドでの決まり、間の取り方がうまくいかないと、時間だけが経過してゆく退屈な狂言となってしまう。
松王丸が刀をトンと突く少し前、源蔵と不用意にぶつかってキッとなり双方にわかれる一瞬、互いに気を配りつつ舞台を半円形に入れかわる、いわゆる付け廻しの間でも、長いとダレるし、短いとあっけない。源蔵、松王丸のイキが合っていい間となる。そこがむずかしい。
 
 前後するが、机改めのところも、源蔵女房・戸浪とのイキが合う合わぬで、その場の芝居の生き死にが決まる。寺子改めのときの子の数より文机の数のほうが一つ多い、そこを松王丸はわざと戸浪に尋ねる。玄蕃の不審への予防線なのであるが、そのときの戸浪のあわて方は不自然でうっかりがよく、ここをサラサラやると緊迫感が出ない。
 
 きょう寺子屋入りした子供(松王丸の一子・小太郎)の机ではなく、菅秀才の机だと戸浪に言わせる意図が松王丸にあり、そこを戸浪がサラリといってしまうと空気が張りつめず、松王丸のせりふ「何を馬鹿な」が利かない。
そのあと、奥で首を打つ音がする。その音でよろけた松王丸が戸浪にぶつかり「無礼者め」となる。その一連の流れを若手中心で芝居することのむずかしさ。
 
 今回、愛之助はよくやったと思う。首実検で、「かんしゅ〜さい〜のくび〜に」をのばしていい、すぐさま「相違ござらぬ」とたたみかけるせりふも決まっていた。
二度目の出で、松王女房・千代に向って、「泣くな、泣くな」といい、「泣くなと申すに」のせりふに情愛がこもっていた。あとは仁左衛門のごとく、客席の息を自分の息に合わせられるようになるのもそう遠い日のことではないだろう。
 
 源蔵に翫雀。初役であるがこなしていた。際立っていたのは松王丸の「泣き笑い」と「大落とし」の場でのハラと行儀のよさ。受けた恩のためとはいえ、わが子を犠牲にした松王丸夫婦の気持を思いやるハラがあり、また、松王丸の言動を聞く姿勢がよく、舞台に彼らの悲哀がつたわってきた。
 
 千代の扇雀は結局、最初から最後までハラがうすく芝居になっていなかった。死ぬとわかって寺子屋に行かせる母の哀感、今生の別れのつらさ、愁嘆場でのようす、すべて一からやりなおさねばならない。「寺子屋」は型だけではどうにもならない狂言なのだ。
 
 「いろは送り」では焼香の意味を再認識した。儀式は儀式としていまに残っているわけのものではあるまい、焼香は生と死を隔てる上で、そして、家族にとっては、それなくしては死者も家族も浮かばれない、必要不可欠の要素なのである。「寺子屋」はみるたびに新しい発見がある。不朽の名作たるゆえんである。


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