14   2005年7月松竹座 夜の部
更新日時:
2005/07/19 
 
 十八代目中村勘三郎襲名披露とあって、久しぶりに松竹座にはなやいだ雰囲気がただよい、立ち見の幕見が出るほどおおぜいの客でにぎわった。
 
 夜の部最初の狂言は「宮島のだんまり」。だんまりとは、登場人物が一切ものを言わず、鳴物に合わせて舞台を右往左往し、さまざまな見得をする無言劇のことである。
たいていは終幕で定式幕が引かれたあと、座頭役者(今回は芝翫)が花道スッポンからあらわれ、六法をふんで揚幕へ去るという、それだけの芝居である。
 
 といえば身も蓋もない狂言のようである、ところがどっこい、そんなことはない。幕があくと浅黄幕があり、長唄連中二人が出てきて「大薩摩」を演奏する。説明の要はないが、ひとりは三味線をたずさえている。演奏がやむのを合図に浅黄幕が落ち、舞台中央の奈落から主役級の人物がせり上がってくる。今回の場合は三人で、中央に芝翫、左右に勘三郎と仁左衛門。
 
 浅黄はややふかい水色、浅黄幕とはうまくいったものである。おそらくは日中の光と空気の色を浅黄幕で表現しようという歌舞伎独自の方法で、黒幕の夜とは対照的。黒幕がきって落とされれば朝である。
 
 芝翫、勘三郎、仁左衛門が思い思いの見得をして、それぞれがそれぞれに姿がよく、大きい。「大きい」というのはむろん、身体そのものではなく、舞台上の見得が立派で、さまになっているということである。姿のよさというのはそのままの意、格好がよいということであり、客はいやがおうでも役者の大きさを知らされる。
歌舞伎はこの「大きさ」、「姿のよさ」が大切で、客の目を釘づけにするのは、顔のよさもさることながら、姿のよさ、大きさであり、なかでも、仁左衛門の姿のよさ、大きさは際立っていた。
 
 従来の「宮島のだんまり」では傾城浮舟(芝翫)と畠山重忠(仁左衛門)がせり上がってくるのだが、今回は勘三郎襲名とあって、大江広元(勘三郎)も一緒に出てきて、三人が口上をいう。襲名した当人が口上で「お見捨てなきように」というのはよくあることであるが、仁左衛門までもが「勘三郎さんをお見捨てなきよう」と述べていた。
 
 仁左衛門と勘三郎の仲のよいのは多くの贔屓の知るところである。それにしても、今年はじめの七之助事件がよほどこたえているのか、あるいは、大阪の歌舞伎ファンはねちっこいからと、丁重に挨拶したのか、笑いを取ろうと段取りしたのか‥。
 
 その七之助であるが、ベテラン陣が颯爽と、そして、たっぷりと見得をしているなかで、ひとりウロウロするだけでサマにならず、よもやそんなことはあるまいが、考えようによっては、舞台の上で謝っているようにもみえた。
勘三郎襲名に免じて、初々しかった、そうだったと大目にみるほかない。格好がいい、形がいいというのは、見る者が決めることであるが、結局は演じる者のハラと経験が形のよさを決定づける。ほかには、三津五郎、福助、橋之助、染五郎、愛之助、翫雀など。
 
 
 
 「野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ」であるが、これは勘三郎の独壇場。テンポの早い展開と独演に近い勘三郎のせりふ。歌舞伎を見慣れた人には多少の違和感があるかもしれない、また、大道具を簡素化して物足りないと感じることもあるだろう。
だが総じて、この新劇に近い「野田版」は、歌舞伎の方向性のひとつを暗示している。古老や私たちの世代が去った後の時代の、古典歌舞伎の変貌の一側面をあらわしているようにも思えた。歌舞伎の味をうしなった分だけコクが薄くなったのはいかんともしがたいが。
 
 三津五郎の家老が傑作。コミカルで素早い動きに、この人の無類の踊りのうまさがうかがえて秀逸。福助の「およし」は抱腹絶倒。乗りがいいし、キレもよく、役柄、カドカドの決まりもはっきりした。また、芸者金魚の芝のぶが期待以上の好演。間といい、調子のよさといい、ハラといい、研辰と拮抗したのはお手柄。染五郎、勘太郎はまずまず。それでも若手の強み、ハツラツとしていた。
 
 野田版の長所と短所は背中合わせで、常に勝手気ままな大衆、群衆を意識している。それが過剰に出ると剣呑で、芝居が猥雑となるが、どうにかこうにか、一歩手前で収束していた。群衆を芝居で扱うむずかしさ、これが今後の課題なのかもしれない。
 
 大詰近く、研辰のせりふが歌舞伎本来のせりふにもどる。その部分をきいていると、やはり歌舞伎のせりふに一日の長がある。勘三郎も言い慣れている。見事に締めるのはやはり歌舞伎調であろう。最後でしめてもらって吉。


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