10   2006年7月松竹座 夜の部
更新日時:
2006/07/18 
 
 坂田藤十郎襲名の7月松竹座、夜の部の狂言は新藤十郎の「京鹿子娘道成寺」、仁左衛門の「一條大蔵譚」、菊五郎の「魚屋宗五郎」。
 
 藤十郎襲名になぜ娘道成寺なのかという怪訝さもないではないが、これもひとえに鴈治郎改メ四代目坂田藤十郎の強い要望と、舞台の上で、できるだけきれいにみせよう、みられたいという鴈治郎時代からの願望が、藤十郎と名をあらためた後いささかの衰えもみせず、女形はかくあるべきと、その気力、体力の具現を受け入れざるをえない。
長唄の大曲「娘道成寺」を初日から楽日まで25日間踊ることは、74歳の歌舞伎役者にとって、それほどにたいへんなことなのであってみれば。
 
 正月歌舞伎座の坂田藤十郎襲名披露興行では、「夕霧名残の正月」の藤屋伊左衛門、「曽根崎心中」のお初、「藤十郎の恋」の初代坂田藤十郎などを演じた。
そのなかで、歌舞伎鑑賞後、新藤十郎の楽屋に招かれた小泉首相が「曽根崎心中」のお初を評して、「19歳の乙女を、よくあれだけ可憐に演じることができる。すごい、感動した」と言ったことは記憶に新しい。
 
 歌舞伎は七面倒くさい蘊蓄や講釈を二の次にして、理屈ぬきでたのしむのがよい。たいがいの役者はそう言うし、それが歌舞伎鑑賞の正道であろう。評判記を記すにあたっても、感動も発見もなければ書き記すこともない。
 
 娘道成寺が長唄の大曲といわれ、女形舞踊の最高峰と位置づけられるのは、まず道行にはじまり、能がかりの乱拍子、烏帽子の所作、そして、手踊り、鞠つき、花笠踊り、手ぬぐいを使うくどき、山尽くし、鈴太鼓の踊りなど、女形舞踊にみられる形がほぼ入っているからであり、それぞれの踊りについても、引き抜きを使用したりして衣裳も替え、さらには、彩りの異なる各々の踊りを踊り分け、変化と美しさをもたせているからと思われる。
 
 聞いたか坊主のくだりは特にいうこともない。道行も一通り。
「花のほかには松ばかり」の長唄で白拍子花子(藤十郎)が花道にかかり、「鐘に恨みは数々ござる」となる。ここからしばらくは、長唄の名調子に聴き惚れる。何度聴いても飽きることがない。
 
 能の要素を汲んだ乱拍子から歌舞伎の長唄に砕ける変化が演出の妙味で、衣裳、小道具(扇)、振り付け、角々の決まりがきまって絵になるのは、踊り手の練り上げられた芸ゆえであるだろう。
「言わず語らぬ」、「乱れし髪の」の柔らかみのある振りもよく、「都育ち」の引き抜きで浅黄色の着物となる。見慣れた光景とはいえ、色彩の変化がたのしい。
 
 鞠つきは、白拍子とは思えぬ可憐さの表出される段で、踊り手の初々しさが感じられるかどうかがみせどころ。しかし、ここは初々しさより艶っぽさが勝っていた。あの豊満な身体からすれば、それが藤十郎の持ち味というほうが理にかなっている。
 
 「誰に見しょとて紅かね付けょぞ、みんな主への心中立て」の濃厚さ。豊潤で、たっぷりした味わい。円熟した色気がこぼれ、舞台の袖に情夫の影を見る思いである。
 
 「山尽くし」にさしかかるあたりから後は胸突き八丁、踊り手の力の配分がどう出るか見もの。バテるとすればこのあたりから。「娘道成寺」は長丁場、藤十郎、菊五郎、玉三郎、勘三郎など、体力に自信のある役者でないとつとまらない。
「富士の山」で富士の形を描き、「吉野山」、「嵐山」では雅やか。「一夜の情け有馬山」で色艶。「稲荷山」では狐のこころで海老反りを、玉三郎の鋭角的な角度、時間の長さに及ばぬまでも、藤十郎の年齢を思えば果敢にやり遂げ上々吉。
 
  
 菊五郎の「魚屋宗五郎」。くだけたセリフ、生世話のイキのよさが身上で、花道の出から、宗五郎はガラ、ニンともに菊五郎のもの。
花道で若衆とすれ違うときの、「おお、吉っあん」の殷々鬱々たる口調、家に帰って、女房と父親の話をじっと聞くようす、そして、「父っあん、忘れやしめえ、去年の九月、菊茶屋へ‥」の長ぜりふに菊五郎の真骨頂をみた。
 
 大酒飲みが禁酒するには、よほどの決心あってのことであろう。
「支度金にと下すった金は小判で二包み(二百両)」、「これというのも妹がお気に入っていればこそ。それを手討ちなすったは」、「不義をしたに違いない」、「不義をしたゆえ武士の掟、手討ちにした」で手拭いを落とし、「といわれちゃあ、指をくわえにゃなりませぬ」の間。この間と芝居はこびが絶妙。
この長ぜりふは、酸いも甘いも噛みしめた男のもので、ここを丁寧にきっぱりと言うから、後の酒乱が生きる。
 
 湯呑み茶碗で宗五郎が三杯目を飲んだら、酒のにおいが舞台に広がる。酒飲みに付きあいたくないが付きあわされる、それが菊五郎という役者。目つきが完全に酔っぱらいになっている。「矢でも鉄砲でも持ってこい」まで、プンプンと酒くさいにおいがただよう。
 
 磯部屋敷玄関先で、「酔っていうんじゃございませんが‥妹が殿様のお目にとまり」から、「親父も笑やぁ、こいつ(女房おはま=時蔵)も笑い、わっちも笑って暮らしやした」、「あぁ、面白かったねぇ」のセリフが実にうまい。
悲劇のおきる前の楽しかった思いを、ほんとうに嬉しそうに回顧する。そういうハラが菊五郎に在るからホロリとさせられるのである。
 
  いつもながら段四郎が手堅い。團蔵の宗五郎父・太平衛は、芝居が散漫で緊迫感がなく、セリフ回しもスムーズさを欠く。三吉は、テンポのよい権十郎にしては芝居をいそいで、かえって粗が出た。時蔵のおはまは手の内。ほかに翫雀、孝太郎、右之助など。
 
         (未完)


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