11   2006年1月松竹座 「仮名手本忠臣蔵五段目&六段目」
更新日時:
2006/01/20 
 
 東京では滅多とみられない仁左衛門の勘平である。その理由はおよそ二つ。歌舞伎座で「仮名手本忠臣蔵」の「五段目&六段目」を上演する場合、菊五郎や勘三郎といった勘平役者に役が振り当てられ、仁左衛門の入り込む余地はせまい。
「仮名手本忠臣蔵・全十一段」における仁左衛門はガラ、ニンともに辛抱立役の由良之助役者であるという先入観が定着している感があって、仁左衛門の勘平はしっくりこないという誤解。
 
 だが、そういう固定観念が仁左衛門を語る上でいかに認識不足であるかは、今回の五段目と六段目の勘平が完膚無きまでに打ち崩したといってよいだろう。そういいきれるほど見事な勘平であった。近年、歌舞伎座で仁左衛門が五、六段目の勘平を演じたのは昭和61年2月であったと記憶しているから、東西両方でこの役を演るのは20年ぶりである。
 
 五段目前半の「鉄砲渡しの場」。『鷹は死しても穂は摘まずと、たとえに洩れず入る月や』の義太夫ではじまる。生きた鳥を常食にする鷹は、たとえ飢え死にしても、稲の穂をついばむようなさもしい行いはしない=どれほど貧乏な暮らしをしても不義の財禄は受けない、二君には仕えないの意。
 
 仁左衛門はニンも勘平で、真横に笠をとり、左足をスッと伸ばすキマリの型はさながら一幅の絵、それだけで場内が静寂につつまれる。花道の引っ込みの、笠をかざした姿もきっぱりとしてあざやか、客席がどよめくのも必然。
 
 「鉄砲渡しの場」で気になったのは千崎弥五郎(段治郎)の元気がよすぎてハラが薄く、芝居になっていないこと。お家の秘密を語ろうとする勘平を制止する千崎の声が大きく興ざめ。口跡のよい段治郎だけに役のハラを身につけてもらいたい。
 
 愛之助の定九郎が出色。五段目の季節感‥原作に陰暦六月二十九日の夜と指定されている‥といい、絵画的美しさといい、夜の深さといい、愛之助にそういうハラがあるからおのずと表現できているのである。
夜の闇と人殺しという二重の闇。闇のなかに、定九郎の黒羽二重の衣装の美しさがポっと浮かびあがり、それゆえいっそう夜の深さを感じさせられるのだ。
 
 与市兵衛を刺し殺した後、縞の財布に手を突っ込み、小判を数えるようすも変に生々しくなく、小判の耳をじっくり探る。『くらがり耳のつかみ読み』であるが、その仕草と間が実にいい。
 
 そこで「五十両」なのであるが、単に「五十両」というのとは雲泥の差、定九郎が突然あらわれた山賊ではなく、祇園から執拗に与市兵衛を追い、ようやくここで殺して金子(きんす)をせしめたという思いが伝わり、被害者のあわれ、加害者の酷さがある種の色彩美となって闇のなかに交錯する。愛之助、上々吉の定九郎である。
 
 猪と誤って人を撃ってしまった勘平の手が懐中の小判にふれる。金は欲しいが押しとどめ、花道七三まで行くが思い返す。ここの芝居もなんともいえない。わざとらしく感じさせないのも美学、右足をあげ、膝をポンと打って人差し指を立てるが、そこが決まって美しい。
花道の引っ込みは一転して、人を殺した恐怖が勘平の足取りにありありと出ていた。地に足がついていないどころか、足が宙に浮いていた。手足はこんなにも多くのことを語れるのか。
 
 「六段目」の一文字屋お才(笑三郎)、おかや(竹三郎)がいい。お才はいかにも廓の女将という匂いがする。お軽の母おかやの竹三郎は地で演ってるかと思うような出来。お軽(玉三郎)はいじらしさが出て傑作。
この場の前半はテンポのよさでみせるのだが、お才の良否が舞台を締めるといってよい。単なる女郎屋の女将ではなく、凛として、しかも如才なさも要る。笑三郎のお才は、勘平とのやり取りも堂に入って上出来。
 
 お才が、与市兵衛に貸した財布と同じ縞の財布を持っていることを知った勘平の驚きと、素知らぬ顔のお才。毎日繰り返す場面だが、そのつど初めて演るという感じゆえ仁左衛門もやりやすかろう。何気ない素振りを何気なく表現する笑三郎のお手柄。
 
 誤射した相手が舅とわかったときの勘平の狼狽ぶり。「女房どの、茶をひとつくりゃれ」のせりふに、言葉に出せない勘平の苦悶がよくあらわれている。勘平の脳裡に死の一語が閃く瞬間である。それからの勘平は生きながら死んでいる。
そういうハラを持って舞台に立つから、お軽との別れが身にしみるし、おかやとの芝居で、絶望の淵に迷い込んだ人間の行き場のない胸の裡を表現しうるのだ。
 
 「お軽、待ちゃ」というところで、いっそすべてを打ち明けていれば勘平は死を免れたかもしれない。それができないのは気の弱さゆえであろう。
自らに克つ強い性格を持っていたなら、主君刃傷のとき、お軽と情事にふけっていたことを後々まで悔やんだりしない。恋人との色事と刃傷とは別と割り切ることもできたろう。だが、そうはできないのが勘平であり、仮名手本忠臣蔵を翳りのある多彩なドラマとした所以である。
 
 おかやの愁嘆場、勘平の姿は舞台上からふっと消えている。それほどまでに勘平の存在が幽かなのである、舞台中央で小刻みに肩をふるわせているにもかかわらず。
存在するのに存在しないという現実感のない風情は、この人にしかできない至芸。仁左衛門には風格を保つ神と、存在を隠す鬼が憑いている。
 
 花道より不破数右衛門(弥十郎)、千崎弥五郎の出があり、勘平居宅を訪ねる。勘平は大小を持ち出し、中腰で右足を立て、大刀をついて立ち上がろうとして、髪の乱れているのが気がかりで刀をすこし抜き、それを鏡にして髪を直す。こんな時にも体面を気にする百五十石取りの武士の哀感とやりきれなさが舞台に広がる。
 
 「いかなればこそ勘平は、‥色にふけったばっかりに、」から「御推量下され」までの見せ場はいつみても心に響く。このせりふがなければどれほど気楽でいられるだろうと思う反面、ここがなければ自省の念も自己省察も存在しないかもしれないと思う。
「色にふけったばっかりに」は人形浄瑠璃にはない「いれごと」である。いつだったか菊五郎が、いちばん気に入っているせりふはと訊かれたとき、このせりふであると応えていた。もっともな話である。
 
 この家庭内悲劇はよそごとではない。早合点にすぎない小さな間違いが大きな誤りをよび、人を悲劇へ追いやる。いつの世にも起こりうるという、その現代性がみる者の胸を打つ。それにしても、娘は売られ、舅に死なれ、婿にも死なれた老母の哀れはひとしおである。
 
 勘平が、「母人お疑いは晴れましたか。御両所ともご疑念は晴れましたか」のせりふをいうところ、それは見えない領域に至った芸の深さをあらわしていて、その深さに私は微動だにできなかった。仁左衛門には歌舞伎の鬼神が憑いている。


次頁 目次 前頁