アマテラスとスサノオ
 
 アマテラスとスサノオはイザナキの子である。イザナキが夜見の国から命からがらに戻り、筑紫の国・日向の海水で身体を洗っていた時、目と鼻から生まれた。アマテラスは天神(あまつかみ)から慈しみを受けて育てられたが、スサノオは姉ほどには愛情に育まれたわけのものではなく、子供の頃から愛に飢えていた。
 
 長ずるに及んで、スサノオはひと目母イザナミに会いたいという思いが募り、大きな声をあげて泣いていた。父イザナキからもらった海の世界を治めることさえ忘れ、涙に明け暮れる日々であった。あまりの事にイザナキは激怒し、スサノオを海から追放されたのである。
 
 スサノオは母に会いたい一心で、母の住む夜見の国へ旅立とうとするが、その前に姉アマテラスに最後のお別れを言いに、アマテラスのいる高天原(たかまがはら)へと向かった。
 
 高天原に登っていくスサノオの勢いがあまりにすごいので、中津国(地上)はグラグラ揺れ動き、大地震さながらであった。アマテラスは弟の勢いに仰天して、心に疑念を抱いた。スサノオは別れを告げに来るのではなく、高天原をのっとりに来るのではあるまいか。
 
 アマテラスは電光石火の速さで女装をとき、髪型を結い直し、背には矢筒を負い、弓をつかんで、スサノオを迎え撃つ態勢をととのえた。急転直下の出来事である。
 
 スサノオが高天原に着いて、ふたりの間に話し合いがもたれ、スサノオの疑いはめでたく晴れたのだが、そのあとが悪かった。スサノオは、姉に疑われたことへの悔しさかうっぷん晴らしか、高天原で乱暴狼藉のかぎりを尽くすのである。
 
 田のあぜをこわし、溝を埋め、神殿に排泄物をまき散らす、あげくのはてに、ハタ織りの少女たちのいる神殿に、生皮をはいだ馬を投げ込んだからたまらない、少女のひとりが被害にあって死んでしまう。これにはアマテラスも烈火のごとく怒り、天の岩屋という穴蔵に閉じこもってしまった。古事記の有名なくだりのひとつである。
 
 私はこのスサノオに、ヤマトタケルがもっていたものと同根の屈折した心理をみるような気がする。ヤマトタケルは父・景行天皇の命に従い、数々の武勲をたてるが、どういうわけか父から愛されず、逆に遠ざけられてしまう。父と国のために命を賭けて戦っても、全く報われることがない。ヤマトタケルは父のことを心から愛している。愛してやまない父のためだから、命を落としてもよいと思えるのだ。
 
 スサノオは母イザナミに会うためなら、国も地位も捨ててよいと思ったのだ。まだ見ぬ母への強い思慕がそう思わせたのであろう。なんともいじらしく、しかし、かなしい愛。父イザナキの逆鱗にふれ、国を追われても、母への思いは断ちがたく、夜見の国へ旅立てば二度とアマテラスに会うことも叶わないだろう、そう思って姉に会いにきたのである。
 
 生まれながらにして高天原の主であるアマテラスは、あろうことか、弟の清らかな心を疑ってしまう。ここに私は人間関係の容易ならざる複雑さ、人の心のうつろいやすさをみる。イザナキが妻イザナミのかなしい心を見通すことができず、妻との約束を破ってしまったように、どうにもならない事というのがあるのだ。
 
 スサノオは、最初に姉に疑われた事がおもしろくなかった。不愉快きわまりなかった。そう思いつつもなんとか耐えたのであるが、耐えている間に鬱積したモヤモヤが、疑いの晴れたとき、はけ口を求めて一気に噴出したのが、スサノオの犯した天(あま)つ罪である。
 
 アマテラスにはスサノオの気持が分からなかった。弟の純粋な心を疑い、自らの心の奥底にひそむ貧しさ、冷たさに気付いていなかったのだ。
 
 アマテラスが天の岩屋にこもった事で、あわてふためいたのは八百万の神々。火鉢の灰をひっくり返したような大騒ぎとなった。天地は墨を塗りつぶした暗黒の世界となり、あたり一面の漆黒の闇に神々は色を失い、すべてが混沌としかいいようのないありさまと化したのである。
 
                      (つづく)
 
更新日時:
2002/03/27

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