アマテラスとスサノオ・2
 
 全く予期しなかった天地の異常に、長い間安穏をむさぼっていた神々はなすすべもなく、口から出るのは愚痴ばかりであった。長老が集まり、アマテラスを天の岩屋から出す策をめぐらしたが、長い長い平和の上にあぐらをかいて、智慧をしぼる事から遠ざかっていたので、妙案が浮かんでこない。
 
 ようやく長老のひとりが、岩屋の前でドンチャン騒ぎをしたらどうか、大勢で歌ったり踊ったりして騒いだら、アマテラスが何がおこったのかと思い、岩屋から顔をのぞかせるかもしれない、そのすきに力のある神が岩屋の戸を一気に開けばよろしかろう、と提案した。つたない発案ではあったが、ほかにこれといって妙案はない。八百万の神たちは口々に賛成を唱えたのである。
 
 
 岩屋の中でアマテラスは苦しみぬいていた。弟の目にあまる乱暴に腹を立ててこんな所に閉じこもってみたものの、少し落ち着くと、腹を立てた自分に腹が立ってきた。スサノオの粗暴が生まれついてのものとは思えない。もしそうだとしても、高天原の女王たる自らがなぜ未然に防げなかったのか。自分にはその力もないのか。そんな力もないようでは高天原の長たる意味がないではないか。
 
 野卑な弟、荒ぶる心の弟をもった身の不運を嘆き、自分の無力をうらめしく思った。そして祈った。どうかわたしに力をお与えください。天よ、天におわします創造主よ、あなたがわたしを高天原の主になさり、天つ国と中津国を守れとおっしゃるのなら、どうかわたしに力をお授けください。
 
 アマテラスは懸命に祈りを捧げた。しかし、天は、万物の創造主は、ひとことのことばも発しはしなかった。あたりは漆黒の闇と、水をうったような静寂につつまれたままであった。全智全能の神よ、なぜあなたはそれほどまでに厳しいのですか、こんなにお願いしているのに、どうして何ひとつこたえてくれないのですか、それではあまりに無慈悲すぎるではありませんか。
 
 アマテラスの悲鳴にも似た心の叫びに全智全能の神は黙したままであった。それでもアマテラスは祈りつづけた。
 
 と、その時、だれかの声がきこえてきた。いや、もしかしたら、それは自らの心の声であったのかもしれない。
 
 「われはなんじのこころにあり」
 
 その瞬間、アマテラスはすべてを悟ったのだ。この愚かな自分は、天の岩屋に閉じこもって、自分自身の心を閉ざしていたのだということを。心を閉ざしていたがゆえに自らの心が闇となり、世界も闇となっていたことを。高天原の主であることは、主であることに価値があるのではなく、主であることで特別の力を授かっているのでもなく、自分自身が心をみがいて、主にふさわしい存在とならねばならぬことを。
 
  高天原の主は、「ある」のではなく、「なる」のだということを悟ったのである。自分の冷たい心や、相手の気持を推しはかる心の欠如、そして愚かな疑念。そのことにも深く思いを馳せたのである。
 
 外では八百万の神々が騒いでいた。そうか、そうだったのか、外のバカ騒ぎも、わたしに早く出てこいという願いであったのか。楽しそうに歌っている歌は、悲痛な叫びであったのか。みなの心にこたえぬようでは、わたしは無いのと同じ。アマテラスは、いま初めて心というものが分かったのだった。
 
 そして、アマテラスは岩屋の外に出ていった。するとどうだろう、アマテラスの顔も姿もキラキラと光を放ち、高貴な輝きにあふれているではないか。長い間待ち受けていた八百万の神々は口々につぶやいた。
 
 「神だ、神のお姿だ」
 
 「あれぞまさしく神にちがいない」
 
 こうして、オオヒルメノムチであったアマテラスは、真のアマテラス、天照大神となったのである。
 
 
 アマテラスとスサノオは姉と弟でありましたが、もしかしたら親子だったのかもしれません。姿、形を変え、名を変え、アマテラスとスサノオは永遠に生き続けるでしょう。人の世に、人の心に葛藤と混沌のあるかぎり。
 
                     (了)
 
 
 *この一文は当初、「男の慢心、女の疑念」という題で書くつもりでした。スサノオの心がきれいで、目的がよこしまなものでなかったとしても、だからといって何をしても(乱暴狼藉)よいのか、という問題を示唆するはずでした。また、アマテラスの疑念がほかに飛び火して、予想外の重大事へと展開し、思わぬ害悪をもたらす場合もあるということを書くつもりでした。しかし、「古事記」は様々な問題をはらんでいて、一筋縄ではいきません。焦点を広げすぎるのは本意ではなく、かくなる次第となりました。  
 
更新日時:
2002/03/28

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