あだ花
 
 私が東京でのんびり学生をやっていた頃、友人のひとりに中国語を専攻していた男がいた。そのせいかどうか、中国のことに関してならなんでも首を突っ込んでいたようである。彼は人並みはずれて正義感が強く、真面目を絵に描いたような性格だった。学部での成績も優秀で、卒業後はY新聞社に就いた。
 
 その彼の十八番(おはこ)は詩吟で、よくあんな朗々とした声がつづくなと思うほどのいい声をきかせてくれた。昔のことなので、多くは地の果ての砂塵のごとく風に巻かれて消え去って行ったが、あの張りのある凛々しい声と、茫洋とした風貌は記憶の奥にしっかりと焼き付いている。
 
 彼は中国は好きであったが、毛沢東の手法には批判的で、紅衛兵などという世間知らずのチンピラが、昼夜を問わず至る所で跋扈するものだから、中国の民主化は100年遅れたと言っていた。あれでは、中華人民共和国から時計が逆戻りして、明・清の時代にかえったと嘆いていた。
 
 毛沢東の言葉とされる、「戦争を終わらせる最良の手段は戦争である」という表現を、なんだあれは、詭弁も詭弁、大詭弁じゃないか、と憤懣やるかたのない面持ちで話していたのを思い出す。
 
 それにしても、よくもまあ、毎日々々世界のどこかでテロあるいは内戦がおきているものである。これはいかなるものであるのか、人間の行為の中でもっとも愚かな行為であり、実のならないあだ花であろう。いや、そもそもテロや戦争をあだ「花」などと言うほうがおかしいのだが。
 
 すべからく戦争という名の愚行は、途方もない金が動き、人間の尊厳を地におとし、生命さえ奪う。無数に存在し連鎖する生態系で、かくも多数の同種族の生存をおびやかし、傷つけ、葬り去ることのできるのは人間をおいてほかにない。人間以外の動物は、いかなる場合もかくのごとき愚行は犯さないし、その可能性すらもっていない。
 
 人間ほど高貴な存在は存在しない、などと誰が言った。
 
 「万物は、自然か偶然か技術のいずれかによってつくられる。もっとも偉大で美しいものが前の二つのいずれかによってつくられ、もっとも不完全なものが最後のものによってつくられる」とプラトンは言っている。
 
 テクノロジー、先端技術の粋を集めた兵器を使用しても誤爆はある。誤爆をなくす最良の手段は戦争をしないことである! 兵器を使わないことである! 2000年以上前にプラトンも言っているではないか、技術はもっとも不完全なものであると。人間が考え出したものであってみれば、「不完全」で「当然」なのである。自然の完全、完璧さに較べて、人間のなんと不完全なことか。
 
 また同じことを繰り返し言ってしまう。人間とは、万物の創造主がつくりたもうた未完成交響曲、いや、むしろ、不完全協奏曲である。そして、うかうかすると、私たちは何の実も結ばないあだ花と化すのかもしれない。
       桑原、桑原。
 
       
 
更新日時:
2002/03/28

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