中田の功罪
 
 弱冠25歳にして日本、欧州にその名を知られ、ワールドカップ日本チームのリーダーとなった男がいた。彼がJリーグに登場し、記者インタビューに応えていた時、なんとキザな若者かと思った。あの時彼はまだ21歳ではなかったかと思う。
 
 スポーツをやる若者特有の素直さとは対極にいるような、落ち着き払った態度と物言いは妙にわざとらしかった。素直じゃないなあ、これが私の中田に対する第一印象である。
 
 サッカーに全く興味のなかった私が、その後の中田に不思議なくらい興味をそそられたのは、彼のパス回しとドリブルの巧さ、それと、イタリア語習得の驚くべき早さであった。あの若者は文武両道を地でやっている、鋭利な刃物のように切れるのは、身体だけではなかった。身体以上に頭が切れるのである。
 
 ワールドカップ緒戦のベルギー戦で先取点を取られたとき、日本チームに一瞬イヤな空気がただよったが、中田はすかさずライオンの咆吼をあげた。チームメイトに喝を入れるためである。彼が司令塔と呼ばれるのは、単にチームの舵取りをしているからだけではない。チームの士気を高める役割も担っているのだ。
 
 勿論、日本代表23名はみな、窮地に陥ったからといって戦意を喪失するようなヤワな男はいない。しかし、彼らの殆どがワールドカップという大舞台の経験もなく、その大舞台でヨーロッパの強豪と熾烈な戦いを演じてきたわけのものでもない。体力、気力ははち切れんばかりに漲っていても、そこは若いがゆえの漲り方である。
 
 体力、気力に優っていても、競り合ったゲームでイヤなムードに襲われた時、わずか数秒で気持を切り替えるだけの精神力は持ち合わせていないだろう。
 
 中田はそれが出来るのである。あの男は本当に25歳なのか、15歳ほどさばを読んでいるのではあるまいか、なぜか妙に老成しているのだ。キザな男が全員そうなのではない、それは中田だからであり、彼はやはり図抜けている。
 
 トルシェ氏は中田の天才をとうから見抜いていて、彼だけは何の迷いもなく日本代表に選出した。いや、迷いはあったかもしれない。中田は天才ゆえに冷ややかなところがある。熱い心の持ち主のトルシェ氏とは好対照である。中田のようなタイプは、自らの熱い心を隠そうとする。
 
 韓国対イタリア戦を観てつくづく思ったのだが、韓国は日本に較べて速さで優る。あんなに速い韓国をみるのは初めてだ。スペイン相手でも、速さでは引けを取らない。中田が焦燥するとすれば、そういう速さであろう。それとスタミナ。中田の持続力は驚異というほかない。決定力の差はいかんともしがたい面があるが、速さとスタミナは何とかなる。何とかなるのにどうにもならないから焦るのだ。
 
 中田の登場は日本のサッカーを変えた。中田のような天才はザラには出ない。そう思わせる何かがあるから困るのである。トルシェ氏が選び出した23人は、おそらく卓越した才能と技術を兼ね備えているであろう。稲本の的確なシュートはそれを物語っている。にもかかわらず、私は中田は別格だと思うのだ。
 
 いつか中田も現役を引退する。中田の将来を思うとき、語学習得力抜群の彼が、日本ではなく、ヨーロッパのどこかの国で監督をしている姿を想像するのである。間違っても解説者にはならないだろう。
 
 中田が日本の指導者となって、ヨーロッパの心と厳しさで日本人の心象を把握し、あらゆるプレッシャーを選手と共に乗り越えていく。速さとスタミナを強化し、同時にここ一番の決定力を養ってゆく。中田なら可能であろうし、日本がワールドカップの決勝戦を戦うとすれば、そういう状況下においてではあるまいか。
 
 中田は素直ではないから、熱くとも熱くないふりをする。日本から乞われても、他国の監督に就任する公算大である。それはある種の罪ではなかろうか、あるいは、私が中田を買いかぶりすぎているのだろうか。
 
 
 
更新日時:
2002/06/20

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