ベッカムの勲章
 
 猫も杓子も、と書いても、若い人には何の事か分からないかもしれない。だれもかれもという意味で、語源については不確かではあるが、「禰宜(ねぎ)も釈氏(しゃくし)も=神も仏も」と、「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も=女も子供も」という説がある。後者は落語からきているので信憑性が低いのでは‥、そう思う人は少なくないかもしれない。しかし、私なんぞは落語起源のほうが実情に即しているように思う。
 
 デイヴィッド・ベッカムはこの国の婦女子どころか一部の男子をも席巻し、英国人としては久方ぶりのエポック・メーキングとなった。その人気たるや故ダイアナさんを遙かに凌ぎ、ビートルズをも顔色なからしむ体の勢いである。ビートルズは女王から叙勲され、私たちの世代に燦然と輝いた英国の星である。
 
 ビートルズは小さな子供にまで影響を及ぼさなかったが、ベッカムは時代の違いもあろうが、少年少女から老女まで、サッカーへの関心度の有無、強弱に関係なく影響力をもったようである。
 
 英国のサッカー(フットボール)人気も尋常ではなく、ヨーロッパ強豪相手のゲームが行われる日、町のパブは言わずもがな、エディンバラの名門ホテル・バルモラルなどのコーヒーハウスも超満員、おちおちコーヒーも飲んでいられない。そりゃそうだ、テレビをみる彼らの目は血走り、店内には殺気が漲っている。
 
 なにしろ、第二次大戦まっただ中、ナチスドイツが頻繁にロンドンを空襲していた時、マンチェスターやリバプールの住民は、地元サッカーチームの対戦試合に熱狂していたことであってみれば。ロンドンでも郊外に住み、空襲の被害に関係のないロンドンっ子からして、ラジオで聴いていたのは戦況ではなく、サッカーであった。
 
 洋の東西を問わず、スポーツは多くの国民の最大の関心事のひとつである。4年に1回しかなく、肉体と肉体がぶつかり、重なり合い、跳ね返るというようなスポーツともなれば尚更であろう。身体の奥深く眠っている、太古の血が騒ぐとでも言おうか、ストレス発散とでも言うか、セックス・アピールなのか、わけの分からぬ何かを刺激し鼓舞する。
 
 ベッカムは向こうでも、普段からテレビ、週刊誌、夕刊誌のヒーローで、奥方ともども大人気である。この雑文の下に、奥方の画像を英国のサイトから転載したので、興味のある方は御覧下さい。
 
 この国のテレビや、夕刊誌の三面をにぎわすのは、近年は政治家で、なぜにぎわすかというと、彼らは弁明、エクスキューズを雄弁に行うからである。芸能人の醜聞が面白くない理由は、たとえその記事が特ダネ、すっぱ抜きの類であっても、当事者がくどくど弁明を申し立てないからだ。
 
 これでは面白くない。ムネオ氏がメディアで話題の人となったのは、ひとえに彼の雄弁さゆえである。いや、ムネオ氏の場合、雄弁というよりむしろ能弁といったほうが適していようが。能弁と雄弁の違いは不快感の有無である…。袖の下も数々あれど、中村喜四郎氏がメディアから疎まれたのは、中村氏の寡黙ゆえなのだ。
 
 事と次第は全く異なるが、英国、EU諸国で受けのよいのは訥弁、あるいは沈黙ではなく雄弁である。スポーツ選手といえども、時にユーモアをまじえ闊達に語らねばならない。ベッカムのように、自分と家族のサイトを立ち上げ(私はこの立ち上げるという言葉が嫌いだ。ほかに的確な表現はあろうに)、しょっちゅう更新やリニューアルを施すのが今風なのであろう。
 
 ベッカムは女王から爵位を授かったわけでもなく、叙勲の栄誉に浴したわけのものでもない。しかし、ベッカムのサイトをつぶさにみるにつけ、彼の家族思い、家族を愛する姿勢にほとほと頭が下がる。奥方の写真も多いが、ひとり息子の写真はもっと多い。彼らこそベッカムの勲章に違いない。

更新日時:
2002/06/22

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