ロスト・バッゲージ
 
 海外旅行を何度も繰り返していると、予期せぬ出来事に遭遇する回数も増えてくる。嬉しい事なら大歓迎で、私の経験でいうと、エリザベス女王との出会い、カーク・ダグラスとの散歩など、今も思い出に残る事は多い。
 
 好いことずくめなら問題はないのであるが、そうはいかないのが世の常であってみれば、いかんともしがたい事も少なからず経験した。旅先で発熱、下痢、けが他、病気関連に見舞われたこともあるし、どこかに書いたように、空港のラウンジで出発便を待っていた時、心臓に異常をおぼえ、急遽自宅に向けて旅立ったこともあった。
 
 スリ、かっぱらいの被害は南アジア(主にインド)で経験したし、雲助タクシーはフィリピン、チェコなどでお目にかかった。バンコクから帰国するさい空港で、意地悪な女性セキュリティに危うく裸にされかかったこともある。まだ若かったから、裸に自信がないわけではなかった?!が、それとこれは別問題である。
 
 頭の固いチェックイン・カウンター(空港)の係員や、ホテルのシニア・マネージャーと口論した数は、すぐ思い出せる回数だけでも5回は下らない。おかげで、私の英語力は飛躍的にアップした。
 
 語学力アップの早道は、習得したい外国語を話す、ネイティブ・スピーカーの異性の恋人をつくる事らしいが、私の場合は少し違ったようである。相手が恋人なら睦言だけで用は足り、複雑な会話は成立しないか、もしくは不要ではあるまいか、それでどうして会話が上達するというのか、とバカな事を云ってみたくなる。
 
 ふたりの仲が良ければ良いほど、UP TO YOUの世界ではないか。そうなれば、痴性と稚性が握手をし、世界はふたりのものとなる。
そりゃまぁ、知性と知性が角つき合わせるカップルもいようし、そういう場合は、睦言より知的議論が優先されるのかもしれないが、別れも早かろう。
 
 私は成しえなかったが、語学習得は、異性と旅に出る事で成就するのではないだろうか。旅は様々な要素を含んでいる。余程相性が合わないかぎり、観光、食事、休憩時間などの好みは微妙に異なろう。何十年も連れ添った夫婦ではないから、お互いにわがままが出る。わがままが出ると、何かにつけて齟齬をきたし、議論も白熱する。つまり口論ですナ、これを繰り返すことで語学力はアップします。
 
 この小文の表題は「口論の薦め」としたほうがよかったでしょうか。
 
 さて、海外旅行における予期せぬ出来事のひとつにロスト・バッゲージがある。日本帰国時に2回、海外で1回この憂き目にあった。出発便や乗継ぎ便の積み忘れなら比較的早く手元に戻るが、何かの手違いで別の便、たとえばヨーロッパ線ではなく北米線の便に積まれて、そのまま南米あたりにお越しになったのなら、手元に帰るまで結構な時間がかかる。体験者の弁なので間違いない。
 
 何にせよ、人っ子ひとりいなくなったターンテーブルで、待っても来ない荷物を待つのはわびしいものです。私は「岸壁の母」という歌を聞くと、かならずその時の自分を思い出してしまうのである。
 
 ワールドカップは決着がついてしまった。トルシェ氏の指導力、先見の明が冴えた日本チームであったように思う。ある番組で、ほんの1,2分トルシェ氏が日本代表メンバーの数人を指導する映像を目にした。トルシェ氏自身が敵のひとりになり、あらゆるファール、身体を羽交い締めにしたり、足を引っかけたり、蹴ったりして小野や市川を鍛える光景をみて、ああそうかと私は思った。
 
 トルシェ氏は世界のサッカーを知っている。彼自身が世界を相手にプレーし、コーチや監督も歴任し、実体験で身体に刻み込んだ世界を彼らに教え込もうとしていたのである。ヨーロッパや中南米の選手が、どんな汚い反則を仕掛けてくるか、どうすればその反則をかわせるのか、反則にくじけず、自分のプレー、チームのプレーを続行するために何をすればよいか、いかにして詰めの甘さを解消し、決定力を養うか。
 
 トルシェ氏がその映像で教えていたのは以上の事である。しかし日本は負けた。負けたから言うわけではないが、何かが足りなかった。それはたぶん決定力であると思う。トルシェ氏が心血を注いでも、いかんともしがたいものがあったのである。
 
 だが、私はそれはロスト・バッゲージだと思うのだ。空港のターンテーブルで待っても来ない荷物を待つのはわびしい。大げさに言えば、心に空洞ができたような感じがする。しかし、荷物はいつか必ず戻ってくる。
必ず…。あとは時間の問題なのである。
 
更新日時:
2002/06/19

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