成田忘却
 
 海外旅行の良さは誰でも一度行けば分かるものであるらしい。何度も行くと、良さも分かるかわりに、あまり行かない人を軽くみたり不満に思うこともあるという。経験豊富な者が、経験不足や未経験者を許せないというのはどうかとも思うが、「成田離婚」はそういう若い女性の存在と行動を象徴していた。
 
 男本来の凛々しさが新婚旅行中に分かるわけでもなかろうに、空港やホテル、レストランやブランド店でモタモタ、オロオロしたから離婚に至るというのもどうかしていた。好きという気持が消滅するのではない、我慢できないのだ。我慢できないという軽蔑にも似た衝動が身体の奥から突き上げ、好きであるという感情を覆(おお)い、凌駕するのである。
 
人間の値打ちは何を経験しているかで決まるのではない、何を大切に思っているかによって決まるのである。そんな御託は耳に入らないか、君たちには。実人生にはでたらめな道しるべがいっぱいあって、君たちはそのでたらめを選んだにすぎない。
 
 ともあれ昔とちがい、遊び慣れているのは女性が男性より数で勝り、諸々の経験も女性に分があるようだ。4対1の比率の4が女性、1が男性というのは過去のものとなり、いまは4人の男が一人の女性に弄ばれるから、世の持たざる男はおのずとあぶれてくる。持てる者は歯牙にもかけない事だが、持たざる者にとってこの逆転現象は深刻な問題だろう。
 
 さて、世の中が変わっても海外を旅して私たちが得るものは多く、彼我の文化や生活習慣の違いなどをつぶさに見た結果、カルチュア・ショックを受け、自己省察の契機となる事もあるという。はたまた、素晴らしい人との出会いで人生観まで変わったという事もないわけではない。
 
 しかしどうだろう、そんな事がたびたび起こりうるだろうか。青年(シニアもあります)海外協力隊に参加する人も年々増加しているらしく、その点では海外旅行の功罪の功は健在で結構なことである。
 
 旅先で感動し、啓発され、心改まっても、帰りの機内でクタクタ眠っては起き、起きては眠る間に大部分が消滅し、成田に着いた途端みんな忘れてしまい、憶えていたのは土産物ばかりなり、となりはしまいか。感動はのこったが、啓発、改心はどこへ行ったのやら…当人にも分からない。そして感動も年々風化の一途を辿るやもしれない。
 
 「忘却とは忘れさることなり」とは熟年世代には懐かしい「君の名は」のナレーションである。帰国後、24年間胸の奥にしまってあった数々の出来事を思い出し、本来の自分を取り戻そうとなさっている、いわば忘却の正反対にいる方たちもおられる。成田離婚は豊かな国の珍事だが、成田忘却は日常の風景とでもいえばよいのか。
 
 自分のことを云えば、私は海外へ出るたびに様々な呪縛にとらえられ、ひとつの呪縛から逃れられないまま、また別の旅に出る。そしてまた別の呪縛にとらわれる。呪縛がうずたかくたまり、下のほうにいる呪縛は息も絶えだえ、毎夜呪縛のお化けが現れる。呪縛の中味は…いずれまたお話する機会もございましょう。
 
 
 
更新日時:
2002/10/23

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