ダニッチ |
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初夏、サフォーク州ダニッチ(Dunwich)の浜辺は眠っているかのようだ。
ボートはひっくりかえっている、小生も旅を終えてひっくりかえっている。
ひっくりかえっていても、このボートは若そうだからまだいい。
サフォークの海岸全域にわたって波は絶え間なく陸を浸蝕し、後退することがない。
穏やかな風景と裏腹にダニッチの古い地区はすでに海中に没したという。
老いに浸蝕され沈没寸前の小生にとっても身につまされる話。いつまで旅が続くことやら。
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ダニッチ |
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そんな時間でもないのに、空が海に溶けこんでいる。なにもせずただぼんやりながめるにはいい時刻である。
贅沢な時間などと陳腐な。なにが贅沢なものか、ごくふつうの、簡素で純朴な気持ちにひたれるだけのことなのだ。
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サウスウォルド |
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おだやかで、典型的ともいえるサウスウォルド(Southwold)の海岸。
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サウスウォルド |
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風に乗ってタコが舞う。昔なつかしいタコではないけれど、かたちの変化と色模様を飽きずにながめていられる。
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ビーチハット サウスウォルド |
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サウスウォルドは18世紀末〜19世紀に避暑地として栄えた。ビーチハット(ハット=Hutは小屋の意)は20世紀以降のもの。
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ビーチハット サウスウォルド |
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ケンブリッジシャー、サフォーク、ノーフォークの各州の標高は最も高い地点で100メートルをやや越えるだけだ。
だだっ広い平地がゆるやかに続くので、どこまで行っても大パノラマを提示してくれる。そこが魅力、もしくは不足。
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初夏の空 |
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これぞ初夏の空という感じの広がりと色彩。刷毛で梳いたような雲。ポピーも咲いている。
とにかく見通しがきくから、なにをしても露見しやすい。
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緑陰 |
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場所によれば、このなかを馬に乗って通りぬける女性もいる。
トンネルふうの木々、55年くらい前、似たような風景を自宅の近隣でも見た。
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初夏の日差し |
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光も初夏特有の照りつけるという感じではない。微妙にどこかやさしい。
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ウィリー・ロット・コテージ |
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イプスイッチ(Ipswich)から23キロ南西へ行くと、デダム(Dedham)村とイーストベルゴット(East Bergolt)村の間を
流れるストゥール川に出る。川沿いの道は遊歩道になっていて、隣のフラットフォード村までハイキング気分で往き来できる。
風景画家ジョン・コンスタブル(1776−1837)の絵に登場するウィリー・ロット・コテージはフラットフォードにあり、
コンスタブルの代表作の多くはフラットフォードとストゥール川近辺で描かれている。
家や自然が、周辺に視界をさえぎるものもなく往時のまま残されていて、行けばいつでも見られるということがステキ。
水面に影を落とす灌木と水草。夕日は風景の色を濃密にする。ストゥール川流域はコンスタブルのアトリエだった。
「京都人の密かな愉しみ・冬」でエドワード・ヒースローが住んだイングランド北部ヨークシャー州としてウィリー・ロット・コテージ
が出てくる。知る者はいないと高をくくっていたのかもしれないが、知る者はいる。ここはまぎれもなくサフォーク州である。
※ストゥール川はサフォーク州とエセックス州の州境を流れる川でもある※
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サマーレイトン・ホール&ガーデン |
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サマーレイトン・ホールは英国東端の町ローストフト(Lowestoft)北西10キロのサマーレイトン村にある。
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サマーレイトン・ホール&ガーデン |
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庭園の広さは12エーカー(約48550u≒14700坪)。
エリザベス朝様式の建物が部分的に残っていて、それを土台にテューダー様式を模して造られた邸宅に
サマーレイトン卿がいまも住んでいる。
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ウィンターハウス サマーレイトン・ホール&ガーデン |
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ウィンターハウス内はコンテナに植えられた花が置かれ、コーヒーブレイクも可。
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ウィンターハウス |
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館内に入るには別料金(+4ポンド=2015年5月現在)がかかります。
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迷路(Maze) サマーレイトン・ホール&ガーデン |
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この迷路、1846年にウィリアム・ネスフィールドが設計。生垣はイチイの木。
イチイが密生し、しかも分厚いので生垣の向こうはまったく見えず、迷路として難関というか優秀というか、
出口(ゴール)までの最短距離は約750メートルというから、順調にいけば10分もかからないのに、
20分もかかってしまった。
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ガゼボ |
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西洋風「四阿」のガゼボ。日本の四阿は四方が見渡せる場所に建てられている。
イングランドのガゼボもおおむね四方を見渡せるけれど、正面しか見渡せない休息用のガゼボもある。
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藤のトンネル サマーレイトン・ホール&ガーデン |
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長さ90メートルの藤のトンネル。ウォールド・ガーデンの東側。
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藤 |
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房はそれほど長くないが花は見事、木は高齢。
この時季イングランドのあちこちで藤を見た。房の長さは日本の山間に咲く野生の藤には
かなわないとしても、色と香りはまったく遜色なかった。
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アメリカスギ |
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超広角レンズでも木全体を入れて、なおかつ花も建物も入れるのはムリ。
欲ばらず、この程度で。
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ローストフト 道しるべ |
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英国のサインポスト(道しるべ)はどれも被写体になる。学生時代「道しるべ同好会」があれば入会していたろう。
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ビーチハット ローストフト |
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こうして見ると、サフォークの海岸にビーチ小屋の多いことがわかる。
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Lavenham ラヴェナム |
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ラベナムもラヴェナムも表記に違いはあるが、両方ともまちがいではない。ラヴェナムの人口は約1200人。
文化財に指定されている建物は町全体で300軒以上。ゆがんだ形の家々が目をひく。この時期、藤が満開。
13世紀〜15世紀、ラヴェナムはフランドル(北海をはさんで向き合っている)から逃れてきた人々が毛織物に関する
技術(手工業)をもたらしたことで栄えたという。
15世紀にはすでに現在の町並みがつくられ、指定建造物はそっくりそのまま残っている。壁は漆喰、または化粧漆喰。
小さな町なので2時間ほどのんびり街歩きすれば全容をつかめる。
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ラヴェナム ハイストリート |
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こういう家を見ていると平衡感覚があやふやになってくる。まっすぐな家はヘンかもしれません。
ラヴェナムは産業革命に置き去りにされた。ガイドブック「ロンリープラネット」は、
「ラヴェナムの住民には家を建て替える金がなかったのだ」と書き記している。
こういっちゃぁなんだけど、理由はどうあれ後世の旅行者には幸いした。
が、この家々、他人事ではない。年寄り夫婦の夫は伴侶に寄りかかって倒れずにすむこともあります。
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ラヴェナム |
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町のインフォマーションは新しい建物ということで、ひしゃげもせず、傾いてもいない。
観光案内所でモノを尋ねているうちに2Fが落ちてきたら恐いもんね。でも、隣家が崩れて、こちらも崩れるということも。
※英国にはアングロ・サクソン語「ham」を語尾にもつ地名が多く、「hamは村とか家屋敷という意味で、英語のhomeやドイツ語のHeimと
同じ語源の言葉です。アングロ・サクソン人が移住してできた集落がhamでした」(梅田修『地名で読むヨーロッパ』※
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サイクリングツアーの打ち合わせ |
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サフォークでは毎年5月(まれに6月初旬)に女性だけのサイクリングツアーがおこなわれる。
サフォークの各町をおよそ100〜115キロ(年度とコースによって距離が異なる)にわたって自転車で走る。
起点とコースは前年の終着点で決まるというが、これも変則的。ミステリーツアーではないけれど、いかにも英国的。
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サイクリングツアー |
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サイクリングツアーの正式名称は「Women's Tour」
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アングロサクソン村 |
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アングロサクソン村はサフォークの小村ウェスト・ストウ(West Stow)の125エーカーの土地をつかって5〜6世紀の民家を再現。
家の造りは見事であり、そこかしこで作業する等身大の人形も精巧に造られている。
☆125エーカーは約505800u=15万3千3百坪☆
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アングロサクソン村 |
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この建物はアングロサクソン・ヴィレッジのワークショップ。46年前の1969年ごろ、Big Villageというペンネームで
古美研庭園班の交換ノートに名文を記した人のことを思い出す。たった一度きりの投稿だった。
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アングロサクソン村 |
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うまくつくられていますが、この作品は近年のものです。
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オールドバラ |
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オールドバラ(Aldeburgh)は波打ち際から数メートルに家が建っているところもある。
人口約2700人の小さな町だが、この町出身の音楽家ベンジャミン・ブリテン(1913−1976)が1948年に創設した
オールドバラ音楽祭で名を知られるようになった。
オールドバラ出身といえば、牧師兼医師で写実主義の詩人ジョージ・クラッブ(1754−1832)は、草木のほとんどない
平坦かつ単調な海岸を厳かに、そしてまた風景画的に、あるいは感傷的に詩作した。オールドバラのクラッブの生家は
彼の存命中に絶え間なく浸蝕をつづける波に呑みこまれたという。
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オールドバラ |
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オールドバラを地元の人はオールブラと発音したりもする。
不揃いで形のよくない小石を敷きつめた浜辺には高潮に打ち上げられたかのような漁船が点在している。
古くなって変色した碇を見ると他人事とは思えない。感傷をを振り切って、サフォークの次はノーフォークへ。
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