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スカイ島の人口は約9200人、面積は約1700平方キロ。香川県の面積(約1860平方キロ)よりやや小さい。
スタフィン湾はスカイ島最北の湾。
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英語で記された部分はともかくとして、ゲール語表示はちんぷんかんぷん。
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クイアイングから見たスタフィン湾。湾沿いに走る道から見上げる絶壁は壮観。
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スカイ島は複雑な地形をしている。そしてそこが魅力でもある。観光化されていない道路に駐車スペースはほとんどない。
逆にいえば、望む場所に駐車できる。軽装で容易に登ることのできる丘陵が点在している。
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どこでもいい、曲がりくねった道のどこかで下車して振りかえる。
道幅は狭いけれど通行する車はすくない。
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スタフィンの背後には400メートル〜600メートル程度のさほど高くない小山、崖が数多くあって、これはと思う場所を
2箇所くらい絞って登っていく。なに、登り口の標高は200メートル以上だから、200〜350ほど登るとてっぺんである。
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スカイは古ノルド語(古代スカンジナビア語)の「翼を持った島」の意。起伏が多く変化に富む地形ということだろうか。
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スタフィンからA855をさらに北へ向かうとスカイ博物館(小作人の住居)が見える。寂寞を絵に描いたようなロケーション。
奥が納屋、手前が住居。現在、屋内はギフトショップ。入場はおおむね4月の復活祭から9月下旬まで。
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主に馬車の車輪や農機具をつくっていた。簡素な石組みの小屋は19世紀初頭に建てられ、
1957年まで人が住んでいたという。1965年にスカイ博物館としてオープンした。
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オールド・ケイリー・ハウスの「CEILIDH(ケイリー) 」の意は、ハイランド・アイルランドの歌と踊りと物語。
ここはかつて牛小屋だった。
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1830年に建てられた碑。碑文はサミュエル・ジョンソン(1709−1784)の著書「スコットランド 西諸島の旅」の一文
『彼女の名は歴史に刻まれて、勇気と誠実が美徳であるかぎり誉めたたえられるだろう」が記されている。
その一文のすぐあとに、「彼女は中背で穏やかな表情、柔らかな物腰、優雅な姿の婦人である」とも書かれてある。
ジョンソンは1773年8月から約3ヶ月、スカイ島ほかの島を旅し、スカイ島キングズバラでフローラ・マクドナルドと
夫君アラン・マクドナルドの歓待を受けた(前掲書)。
ジョンソンはキングスバラのマクドナルド夫妻の家に泊まるが、ジョンソンの使ったベッドこそ1746年6月29日逃亡の
さなか一泊したプリンス「チャールズ・エドワード」がカローデンの戦い以来初めて真の安らぎを得た当のベッドだった。
フローラとアランは1774年、北米ノースカロライナに移住、アランは独立戦争で王党派として戦い捕虜となり、
晩年のフローラは健康を害し、スカイ島にもどって1790年に永眠する。
※フローラ・マクドナルド(1722−1790)については「グレンフィナン」(最下部の「Glenffinan」)を参照してください※
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ウィグはスタフィンの西北西8キロに位置するのどかな港町。ポートリーからだとA87を北北西に26キロ走れば着く。
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上るのは石のかたまり中央部の隘路。ただそれだけのことなのに、なぜか人はあつまる。
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急勾配の隘路を上る。若干のスリルもあって楽しい。
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オールドマン・オブ・ストーはスタフィンの南17キロ、ポートリーの北9キロの地点に位置し、どちらから行っても
A855の一本道、きわめてわかりやすい。
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オールドマン・オブ・ストーからA855を南下し、ポートリー経由でA850をダンヴェガンをめざして北東へ進み、エディンベインを
過ぎて右折し側道に入るとグレショーニッシュ・ハウスという名の宿がある。スカイ島では名のとおった宿だ。その宿近くの道に
野ウサギが頻繁に出没するのでドライバーは徐行せねばならない。
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「スコットランド 西方諸島の旅」(サミュエル・ジョンソン)には「ダンヴェガン城はスカイ島の西側にあって入り江に
突き出ている突起した岩である。マクラウドの主たる館であるその屋敷は、一部は古く一部は新しい。
その館は岩の上に立っていて海に臨んでおり、四角い狭い敷地の二辺を成している。三つ目の辺には、
どのくらい昔のものか分からない城の骨組みがあり‥云々」と書き記されている。
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雑誌の特集号のためのグラビア撮影。
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どんな雑誌か、何の特集なのか、聞くのを忘れた。
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スカイ島最西端のニースト岬(Neist Point)の先端には1909年建造の灯台が立っている。
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ニースト・ポイントの景観は晴れた日は美しく、天候が悪化すると殺伐としていることから映画やテレビドラマの舞台になっている。
1996年公開の「奇跡の海」(主演エミリー・ワトソン)、2012年公開の「47RONIN」(主演キアヌ・リーブス)はここで撮影された。
岬の駐車場から灯台までは約2キロ。歩くには十分な距離である。
ニースト・ポイントの断崖は危険なことでも知られており、2013年6月には女性観光客が転落死したという。
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ポートリーはスカイ島で最も人口の多い町。それでもわずか2000人弱。ポートリーはゲール語で「王の港」の意。
1540年、ハイランド氏族制圧のため入島したスコットランド王ジェームズ5世(メアリー・ステュアートの父)にちなんで
名づけられたというが、攻める側のスコットランドが命名したのだろう。
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スカイ島のハイランド・ゲームは毎年8月、ポートリーで数日間にわたっておこなわれる。
第一回目は1877年に開催された。
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一所懸命になることがすばらしい。
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持っていかれそうになるのを歯を食いしばって持ちこたえる。感動しました。
スカイ島は風景も人も深く、美しい。
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戦局有利となって、ぐいぐい引っぱったときの感触を思い出しました。
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小学校の徒競走はいつも6人で、3着になって黄色いハチマキをつけたときはうれしかった。
2番目を走っていた生徒がころんで2着でゴールし、緑のハチマキをつけたときは複雑な気持ちだった。
6年間で赤いハチマキ(1着)をつけたことななかった。妹は常に赤、弟は赤か緑だったけれど。
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タータンチェックでその名を知られるキルトは一着の生地がおおよそ7メートルに及び、プリーツを広げると寝袋がわり
になることから戦場にかぎらず狩猟の場でも愛用された。
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戦場で兵士がひるんでいるとき、バグパイプ奏者が丸腰で敵陣に進みバグパイプを
演奏する。兵士たちはそれで奮い立ち、戦況は有利となった。バグパイプは兵士を守る音楽なのだ。
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互いに姿が見えないようにしている。うしろに見えるのはポートリーの街並み。
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ポートリーからスリガハンへ、A87を南にまっしぐら。14、5キロほど道なりに走るだけ。
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スリガハンからクーリン・ヒルズの山並みが見える。ほとんどの峰は標高900メートル台。
このあたりは標高は450メートルなので、頂上までの標高差は500メートル弱だ。
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渓流がいちだんと流れをはやめるようすは肉眼でしかとらえようもないが、水の色は銀色である。
時間が経過しても滝のほかに静寂を乱す音はなく自然に溶けこみ、一体化してゆく。
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クーリン・ヒルズは広大でとらえどころがないようにも感じる。どことなく日高山地の幌尻岳に似ているようにもみえる。
違うのは、幌尻岳は沢が増水すれば(沢登りは)危険で、ヒグマも出没する。
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山に近い場所ほど英国の水はおいしい。ウェールズの場合、カーディフ(南ウェールズ)の水は飲めたものではないが、
スランデュドゥノ(北ウェールズ)の水はとびきりうまい。スノードン山が近いからだ。
スコットランドでもエディンバラほかの低地地方の水はたいしたことはなく、高地地方(ハイランド)の町や村の水はうまい。
清冽な水を飲むのは旅の楽しみであり、とりわけウォーキング途上でおいしい天然水にありつけるとうれしくなる。
英国を旅してわかったこと、水のおいしいところは人もステキ。実直でおおらか、癒やされます。
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服装も履き物もさまざま。トレッキング・シューズの人もいるし、スニーカーの人もいる。
服装は概して軽装である。ハイカーの多くは日帰り、誰でも気軽に行けるということです。
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足場の狭いことが爽快なのです。
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スカイ島は世界遺産に登録されているなにものもないけれど、日数をかけて旅した者の心に住みつくだろう。
そこは世界遺産より長く記憶にとどまる自分遺産なのだ。
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クーリン・ヒルの東、トリン村からB8083南南西へ12キロ進むとストラスエアド半島の村エルゴールに着く。
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エルゴールから海を隔ててクーリン・ヒルの山並みをみる。
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エルゴールにはこれといったB&Bはなく、泊まるとなると、約3キロ東のグラスナキールへ。
眺望のよいB&Bは数軒あるが、設備のよいところは少ない。
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一天にわかにかき曇れば季節は冬。湖水地方も天候が変わりやすく、夏場でも一日に四季があるといえるが、
スカイ島は湖水地方の比ではない。しかしそれゆえおもしろい。雨が降ってこようが寒くなろうが備えあれば憂いなし、
地震、土石流などの天変地異とちがって、それなりになんとかなる。
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スカイ島にも日本の里山を思わせるのどかな風景があります。
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夕焼けの雲をながめていると何かに守られているような気がする。そういう思いを持ったまま旅は終わり、
旅がひとつの物語になっていることに、物語を伝える相手がいることに感謝し日々を過ごす。追懐の島、スカイ島。
スカイ島ではあらためて魂の存在を信じたい気持ちになった。死者は魂となって生者を守ってくれるかもしれない。
過剰なものが温かさを妨げる都会では、生きているときは守れても、死んでしまえばそれまでと思うほかないが、
空や海、大地と一体となって暮らしている人々は温かさを保ちつづけ、死後も魂となるのだろう。
ハイランドを旅して常に思うのは、簡素であることが、そして寂寞が人を温かくするのかもしれないということである。
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