子供の値打ちW
子供の値打ちW
 
しばらく経ったある日、父は大阪市東淀川区(現淀川区)に家を新築した。やっと姉とも同じ屋根の下で暮らせるようになった。
父母の激しい諍いはあったが、姉妹は自衛手段を身につけた。夫婦喧嘩はどこにでもある、それをいちいち心配したり不安に
陥ったりするより、経験から学習し、子供なりの冷静さを保つという智慧を得たのだ。
 
愛情をいうなら、子に対する父母の愛情はむしろ強かった。あたりまえといえばあたり前、写真はすべて(モノクロ6枚)父親の
撮影によるもので、このような写真をまめに撮ること自体、愛情の発露といわず何といおう。
 
自分のことをいえば、国家にも社会にも職業にも最大級の愛情を捧げることはないだろう。生まれ変わり、
人生をやり直すことができたとしても、私の愛情のほとんどは個人に捧げられると思う。
 
 
子供の値打ちW
子供の値打ちW
 
少女には四才年上の姉がいた。少女が料亭で寝起きしていた頃、姉はわけあって大阪市塚本にある父方の祖母宅に
預けられており、毎週土曜になると料亭に来て、月曜早朝に帰っていった。少女が料亭に住んでいたある日弟が誕生した。
 
時代のせいもある、性格のせいもある、姉と妹の置かれた立場の違いもある、しかしそれにもかかわらず子が渇望して
やまないのは父母からの惜しみない愛である。
父母は子にとってもっとも身近で、畏怖すべき神のごとき存在である。そういう時代が確かにあったように思うのだ。
姉は妹をうらやみ、身の不運を嘆いた。しかし、両親にしてみれば長女を父方の祖母に預ける充分な理由はあった。

PAST FUTURE