しばらく経ったある日、父は大阪市東淀川区(現淀川区)に家を新築した。やっと姉とも同じ屋根の下で暮らせるようになった。
父母の激しい諍いはあったが、姉妹は自衛手段を身につけた。夫婦喧嘩はどこにでもある、それをいちいち心配したり不安に
陥ったりするより、経験から学習し、子供なりの冷静さを保つという智慧を得たのだ。
愛情をいうなら、子に対する父母の愛情はむしろ強かった。あたりまえといえばあたり前、写真はすべて(モノクロ6枚)父親の
撮影によるもので、このような写真をまめに撮ること自体、愛情の発露といわず何といおう。
自分のことをいえば、国家にも社会にも職業にも最大級の愛情を捧げることはないだろう。生まれ変わり、
人生をやり直すことができたとしても、私の愛情のほとんどは個人に捧げられると思う。
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