家族の絆がいかに強いか、そしてまた、いかに弱いか、私はまだそのこたえを出していない。
私はそのこたえを一枚の写真にもとめ、永遠をみいだしたにすぎない。生あるうちにこたえはみつかるだろうか。
私の母は、この世で起きたことは必ずこの世で解決するといったがどうなのだろう。
多くの人が不満をもつのは、私たちの能力に対してではなく、性質に対してであるように思える。
家族がぶつかり合うのもそうした性質が前面にでて、互いの接点を見いだしがたいことに起因する。
我は誰にでもあるが、我が強すぎると齟齬をきたすのだ。
ハデな諍いをしても許せるのは血のなせるわざであり、血は愛情のしたたりである。
愛情の血は憎悪の血より濃く、人と愛情との距離は人と憎悪との距離より近い。
子供はむきになって喧嘩もするし、それなりに辛辣でもあるが、喧嘩相手に寛大である。
子供の究極の寛容…私たちが大いに見習わなければならない美徳である。
それが子供の測りしれない値打ちの所以ではないだろうか。
「子供に還れ」というのは単なる比喩ではない。人が迷いの渕に立ったとき、生来の良心に目覚めることがあるというが、
それは、その人が生まれつき持っている善を適切につかうことで、人としてふさわしい生活ができることに気づくからである。
子供に還るとはそういうことなのだ。
ともあれ、生あるかぎり不変でありつづける何かを探す私の旅はこれからもつづく。
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