シシングハースト・カースルの歴史は14世紀のマナーハウスに遡り、16世紀テューダー朝・ヘンリー8世治下のイングランド国会議員ジョン・ベイカー
がレンガ造りの門番小屋を追加、息子リチャード・ベイカーが大幅な増築を施したことでかろうじて名をとどめることとなったのかもしれない。
 
後にこのマナーハウスの使用目的は多様に変化する。18世紀、仏墺露などの同盟軍相手に勃発した七年戦争(1756−1763)では
捕虜収容所、さらに貧民救済院として、あるいは農民の居宅としても使用された。1930年、廃墟同然のシシングハースト・カースルと
周囲の土地がヴィタ・サックヴィル=ウェストと夫ハロルド・ニコルソンによって買い取られたのはまことに幸いというべきである。
 
ケント州シシングハースト・カースルへは、イースト・サセックス州ライ(Rye)からA268を24q北西に進み、ホークハースト(Hawkhurst)でA229を
右折、約8q北上してA262のラウンドアバウトを右折し東へ向かうと、1.6qほどでシシングハースト・カースルの道標がみえる。
そこを左に曲がれば1q弱で到着する。
シシングハースト カースル
シシングハースト カースル
 
シシングハースト・カースル・ガーデンはヴィタ・サックヴィル・ウェスト(1892-1962)と夫ハロルド・G・ニコルソン(1886-1968)
が生涯の下半期にさしかかって共に造りあげた庭園。波瀾の日々に明け暮れたヴィタが庭に安寧を求めたのだろうか。
 
この4階建ての門塔にあるヴィタの書斎には、ヴァージニア・ウルフとレナード・ウルフ夫妻が使った印刷機が置かれ、
その印刷機で彼らは自前の出版社ホーガス・プレス版詩集「荒地」(TS・エリオット)を印刷したという。
 
シシングハースト・カースルが初めて一般公開されたのは1938年、ナショナル・トラストが所有したのは1967年。
 
ホワイトガーデンのエントランス
ホワイトガーデンのエントランス
 
 
ホワイトガーデン
ホワイトガーデン
 
ホワイトガーデンと名付けられたガーデン数あるなかで特に人気の高いのがここ。
ヴィタ&ハロルド夫妻が1930ー40年代にかけて造りあげた庭は名園中の名園と高い評価
をうけ、ガーデニングの聖地との呼び声もあるという。
 
ヴィタは、「単色の花壇をつくったらおもしろいだろう。来夏の夕暮れには蒼白い花壇の上を
大きく幽霊のようなナヤフクロウ(メンフクロウのこと)が音もなく滑空してくれるよう願わず
にはいられない」と述べている。
 
ホワイトガーデン
ホワイトガーデン
 
カメラのファインダーから覗くと一瞬だけ小さな森にいるかのような気分になる。
 
植物のなかには必ずしも日光を好むものばかりではなく、日蔭で安息する顕花植物もいる。
長時間におよぶ陽光はコスモスの生育を妨げる、もしくは、しおれさせてしまうのだ。
 
日照時間の差が夏と秋の花をふりわけ、それぞれに適応する植物が育つという依存関係。
人間関係より明快。
 
 
ボーダー
ボーダー
 
晩夏と晩秋は気候は異なっても、哀愁が漂うという点で似ている気がする。
そう感じているうちはまだ若さの片鱗が残っているのかもしれない。
 
ある時期ヴィタは園芸雑誌への投稿に専念する。その文章は英国の造園家
の多くに影響をおよぼしたという。
そして「ニューヨークタイムズ・トラベルガイド1 ロンドン・アテネ」によると、
「英国の園芸技術の改変に貢献した」ということになる。
 
 
ホワイトガーデン
ホワイトガーデン
 
ヴィタはヒドコート・マナーの庭を高評価していて、シシングハースト・カースル庭園にも
ヒドコート・マナーの特長である小空間の庭という考えを取り入れている。
そして自然の構成要件である多様性、不規則、野生といった概念を生かした庭園造りをこころがけている。
 
ホワイトガーデンからゲートウェイを見る
ホワイトガーデンからゲートウェイを見る
 
自然の概念を生かしつつ上質で落ちついた空気をかもしているのは見事というほかない。
 
シシングハースト・カースル・ガーデンの公開は3月1日〜11月3日が11:00ー17:30。
11月4日から11月30日まで閉園。12月1日〜12月29日は11:00ー15:30。
12月30日から2月末まで閉園(2013年)。
 
ローズガーデンへ
ローズガーデンへ
 
ヴァージニア・ウルフとヴィタ・サックヴィル・ウェストが同性愛の関係にあったことは、ウルフの「オーランドー」を
読めばわかる。コンスタンティノープルで7日間の昏睡状態から目覚めた美青年オーランドーは女性に変身する。
オーランドーはウルフのもとめるヴィタであるともいわれている。
 
 
ローズガーデン
ローズガーデン
 
上と下の画像はワンセット。
ロ−ズガーデン
ロ−ズガーデン
 
庭のひとつひとつを見比べるとバラは主役でないことがわかる。
 
ロ−ズガーデン
ロ−ズガーデン
 
バラとクレマチス。
 
すでに咲き終わった花、これから咲く花。花の生涯色々。
 
コテージガーデン
コテージガーデン
 
向こうを覗けば何かが見える。随所にそういう工夫がなされていて、発見する楽しみもある。
 
コテージガーデン
コテージガーデン
 
椅子に座っている女性、おそらく何度も再訪している。物腰と雰囲気がそう語っている。
 
 
コテージガーデンからの風景
コテージガーデンからの風景
 
6エーカ(約7300坪)の敷地とは思えない広さを感じさせる。
年間10万人の訪問者がやってくるという。
 
コテージガーデン
コテージガーデン
 
 
 
ローズガーデンよりサウス・コテージを見る
ローズガーデンよりサウス・コテージを見る
 
 
サウス・コテージ
サウス・コテージ
 
田舎風の建物はサウス・コテージ。ヴィタ&ハロルドはここで読書にいそしみ、執筆に専念する。
 
サウスコテージの執筆室
サウスコテージの執筆室
 
日中は庭の手入れ、夜は執筆に明け暮れる毎日。ここでの生活が夫婦に豊かな果実を
もたらしたことは想像に難くない。とりわけ人生の半分を異性愛・同性愛双方に
耽ったといわれるヴィタ・サックヴィル=ウェストにとってある意味理想的な生活であったろう。
 
性愛に苦痛がともなったとしても、過ぎ去ってしまえば、ましてガーデニングと執筆活動に
専念すれば、苦痛はしびれるような悦楽に変わるのである。
 
ヴィタ&ハロルド
ヴィタ&ハロルド
 
ヴィタとハロルドはガートルード・ジーキル(園芸家1843−1932)とウィリアム・ロビンソン(造園家1838−1935)
に匹敵すると評価されている。
 
ヴィタの装いはセーターとカーディガンの重ね着にキュロットふうスカート。シガレットケースはおそらくポケットの中。
誰が言ったか知らないが、「腰から上はチャタレイ夫人、下は森の狩人」。言い得て妙である。
 
 
ヴィタ・サックヴィル=ウェスト 肖像画
ヴィタ・サックヴィル=ウェスト 肖像画
 
ヴィタはヒドコート・マナー・ガーデン(ローレンス・ジョンストン)を「イングランド西半分で最も美しい庭」といっている。
 
 
パープル・ボーダー
パープル・ボーダー
 
 
ハーブガーデン
ハーブガーデン
 
ハーブの時期はハーブが主役になると言わんばかりの咲きっぷり。
 
ハーブガーデン
ハーブガーデン
 
マーブルボール
 
こういう意匠が庭園の随所にみられ、来訪者の目を見開かせるのかもしれない。
 
ハーブガーデン
ハーブガーデン
 
エドウィン・ラッチェンス(1869−1944)設計のベンチ。
ラッチェンスは英国の建築家で、主に中世風の住宅、庭園を手がけ、1911年、インドの首都(カルカッタ)が
デリーに遷都したときニューデリー都市計画に参画、デリーのインド門はラッチェンス設計である。
ラッチェンスはグレート・ディクスター合体工事の依頼人ナサニエル・ロイド(1867−1933)とも親交があったという。
 
ハーブガーデン
ハーブガーデン
 
カモミールのベンチ。この前で立ち尽くしていた同胞がいた。カモミールの植えられた石造りの古いイス。
追懐にふけるには十分な道具立てである。
 
 
ハウス
ハウス
 
 
タワー屋上から母家をみる
タワー屋上から母家をみる
 
タワーの屋上から庭全体を眺望できる。母家の端は読書室。
 
屋上から見てわかるのは、ケント州はむろんイングランドすべてに通じるカントリーサイドの雰囲気を個々の空間に
はりめぐらしているということだ。作庭にあたっての明快な意図を感じる。
 
タワーから庭を見る
タワーから庭を見る
 
 
タワーと庭園
タワーと庭園
 
 
オースト・ハウス(ホップ乾燥場)
オースト・ハウス(ホップ乾燥場)
 
主にケント州とサセックス州にみられるオースト・ハウスは醸造用ホップ乾燥の建屋である。屋内の床にこしらえた窯で
木または木炭を燃やし、摘みたての新鮮なホップを乾燥させる。現在、役目を終えたオースト・ハウスの多くは居宅と
なり、歴史を経て良好な保存状態のオースト・ハウスのみミュージアムや記念館として保存されている。
 
 
隠れ門
隠れ門
 
日本未公開映画「ブラック・レコード」(2009年英国)にいつも庭の手入れをしている女性が出てくる。
(時代は第二次欧羅巴大戦開戦直前、場所はロンドンからそれほど遠くないカントリーサイド)
その女性は主演女優ロモーラ・ガライの義母役で、豪邸に住み、ストーリー展開にほとんど関与しない
と思いきや、大詰で重要な役割を果たす。ロモーラ・ガライを脱出させるのだ。
 
庭園が出てくる英国映画はおもしろい。ガーデニングの長い歴史が映画に反映されるのか、
映画関係者が庭園をつかうのがうまいのか、いずれにしても庭園は英国民の心とつながっている。
 
ゲートウェイからタワーをのぞむ
ゲートウェイからタワーをのぞむ
 
 
 
ヴィタが亡くなってはや50年(2012年時点)たった。しかしいまなおシシングハーストの庭を支配している。庭のどこかにすっくと立ち、
庭造りに励む人々をみている。そう思わざるをえない何かがここにある。シシングハーストはヴィタそのものなのだ。