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パリに生まれ育ったジョンストンはケンブリッジで学んだ後、英国陸軍に所属し南ア戦争(ボーア戦争1899−1902)
に従軍したが、戦争から帰還して母と共にヒドコートの荘園領主邸に住みはじめたのは1907年。
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こういう様式のマナーハウス、コットウォルズでよく見かけるが、室料の高い宿となっている場合もある。
敷地面積は10エーカー(約12200坪)。
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ジョンストンが手がけた最初の庭。
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建築物の三日月形意匠は英国のお家芸。近年、本邦もそこかしこで類似品が出現。
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スティルト(Stilt)は竹馬。下半分を刈り取り、上半分を整えた生垣が竹馬に乗った人に見えるから。
人呼んで竹馬庭園。アメリカシデを刈り込んだ意匠はほかの生垣と異なり閉塞感がなく、隠れた部分への
広がりと好奇心をくすぐるような効果をもたらしている。
2016年3月18日に一般公開された英国映画「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」(イアン・マッケラン主演)に
ヒドコートマナーのスティルトガーデンが登場。
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本邦の藤のように棚に長くたれるのではなく、山間部に咲く野生の藤に似て花房が短い。
それでも葉のボリューム感はかなりのもの。
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日当たり良好ということで咲きかたも盛ん。
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ガーベラ全開寸前
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囲みの中に植えられているのはフクシア。割れた花弁4枚の赤い花が咲くのは晩夏。
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緑一色の葉に多少の変化がでています。囲みの向こうはプールガーデン。2008年7月5日。
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大刈り込みの向こうがプールガーデン。2008年7月5日。
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池に浮かぶのはスイレン。花は時季が早くまだ咲いていない。咲くのはむろん夏。
それよりマーガレットの白が鮮烈。
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プールガーデン横にあった大きな鉢植えのギボウシ(右)。ギボウシの花言葉は沈静。
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左の薄紫色の花はアリウム=葱花(ネギバナ)。イングランドでは場所にもよるが、4月中旬〜5月初旬に咲く。
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本館のそばにネギ(アリウム)、ニンジン、キャベツ、マメ類などが植えられている。
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マーガレットが咲き乱れて。
レストランは昼時以外もティーブレイクする人で混雑している。
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芝生と生垣の道・ロングウォークは南北200bにおよぶ。ロングウォークにはこのような掲示板も。
スズメバチが脅威となるのは、捕獲する昆虫が減少し、新女王バチを養育せねばならない初秋で、
その時期にはいちだんと攻撃性が高まる。
ヒドコートマナー・ガーデンではスズメバチの巣は駆除されているらしい。
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2008年7月5日
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2008年7月5日
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四阿入り口から見るロングウォーク。2008年7月5日。
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四阿のだまし絵。籐のイスを除いてすべてだまし絵。長椅子も壁も柱もだまし絵。
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ロングウォークの後は西洋風あずまや(ガゼボ=Gazebo)で小休止。2008年7月5日。
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ヒドコート・マナー庭園の特長はアーツ&クラフト・スタイルを受け継いで、直線と曲線を組み合わせた生垣で
敷地を区切って小庭園を造っていることである。
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オールドガーデン方面からみるレッドボーダー。レッドの名は赤い花が多いから。
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こういう小道を歩く、風が吹く、新鮮な植物と空気のにおいをかぐ。英国カントリーサイドの楽しみです。
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画像右がウツギのなかでも手入れいらずのベルエトワール。ひなた日蔭の別なく花つきがよく、
寒さにつよく、植える場所を選ばない。
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生垣はツゲの木。小鳥か雪だるまのようなトピアリー(刈り込み)はイチイの木。
ホワイトガーデンの名にふさわしく白い花が多くみられる。
バラの開花までもう少し。
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左の建物は園芸品コーナー。
飲物、サンドイッチの売店もあり、にぎわっている。
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遊歩道にもイングリッシュ・ガーデンの特色である何気なさと華やかさがあらわれている。
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ジョンストンの願いをナショナル・トラストが叶えつづけている、それがヒドコート・マナー・ガーデなのかもしれない。
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何気ない演出が、自然の造形にみえてもみえなくても気持ちをなごませる。2008年7月5日。
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ウッドランドに植えられた木々は落葉樹、ちょっとした森林浴を楽しめる。
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竹馬庭園を抜けるとすばらしい眺めが。
2008年7月5日
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チッピングカムデンほかコッツウォルズの絶景との一体感がすばらしい。
2008年7月5日。
「英国式庭園を読む」(彩流社)には「ジョンストンと親しい造園家にノーラ・リンゼイ(1873−1948)がいて、
ジョンストンは自分の引退後、あるいは死後、ヒドコートをリンゼイに贈与するつもりでいたが、彼女のほうが先に
1948年に死去したため、彼はヒドコートをナショナル・トラストに託し、引退してフランスに帰った」と記されている。
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パブリック・フットパスはヒドコート・マナーからキフツゲートへ、さらにはミクルトン村へと続いている。以下3枚も2008年7月5日。
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