2012年11月28日午前11時過ぎ。
厭離庵は清涼寺(嵯峨釈迦堂)の西400mに位置し、住所は京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2。
住所からみて二尊院の近いことがわかる(二尊院山門前まで360mほど)。
 
藤原定家(1162−1241)の山荘の旧跡で、小倉百人一首を編纂した地と伝わる。厭離庵は
霊元天皇(1654−1732)の命名とされ、当初は男僧が4代続き、その後荒廃をかさねたが、
山岡鉄舟の娘・素心尼の住職就位後「尼寺」となり、さらに2006年、男僧が住職に就く。
厭離庵入口
厭離庵入口
 
厭離庵の東側からみる。
厭離庵入口
厭離庵入口
 
南側から見る。東から入っても南から入っても、道はきわめて狭い。
山門
山門
 
「厭離庵」の表札のなんと小さいこと。我が家のものとほぼ同等。
時雨亭への敷石
時雨亭への敷石
 
時雨亭は定家の山荘名。
時雨亭
時雨亭
 
大正12年(1923)、裏千家のおかかえ大工であった岡田永齋が建てた。
時雨亭
時雨亭
 
小倉山 しぐるるころの 朝な朝な きのうはうすき 四方のもみじ葉    定家
書院入口
書院入口
 
前方より撮影
 
書院入口
書院入口
 
門をくぐって撮影
 
書院より撮影
書院より撮影
順路
順路
書院
書院
 
厭離庵の敷地はやや広めの住宅ほどの規模であり、嵯峨野にはこの程度の住宅はいくつもある。
みるべきものはもみじの赤さと枝ぶりであるだろう。
 
書院縁側のにぎわい
書院縁側のにぎわい
もみじ
もみじ
もみじ
もみじ
書院より撮影
書院より撮影
枝ぶり
枝ぶり
 
 
名残のもみじ
名残のもみじ
いのち燃ゆ
いのち燃ゆ
 
 
厭離庵の位置
厭離庵の位置
 
 地図中央上に厭離庵の名が、地図左下に二尊院、中央下に落柿舎の名が記されている。