2019-04-30 Tue
マイ・ブックショップ  2019年3月公開 英西独合作

 
 映画を選ぶとき気になるのは役者、監督、脚本、ロケーションなどであるが、英国映画にかぎっていえばロケーションと配役で決めることが多い。英国の役者はおおむね役に適応するというか、「役に対する精神的指針」(以下「ハラ」と呼ぶ)を保持して演ずるのでそうも気にならないが、それでもたまに当たり役、当たらない役はあるもので、心血そそいでも不向きの役はある。
 
 かつて日本映画界にも主演者の一部、助演者の数人にうまい役者はいたけれど、数年前にほぼ全員旅立ってしまい、残った者のうち数少ない名優は高齢で引退同然。邦画の衰退は目もあてられない。
 
 何度もくり返し書き記したものであったが、演技とは演じることではない、演じないことである。演技を感じたら芝居はくさくなる。そこにいる人が昔からいると思うような、突然あらわれた人が突然にと思えるような、互いにセリフをまったく知らないような、何度やってもそのとき初めて次の動作がわかるような。
 
 2019年4月23日(火)、梅田「シネ・リーブル」で上映中の「マイ・ブックショップ」をみた。
北アイルランドのストラングフォード(Strangford 人口約470人)、ポータフェリー(Portferry 人口約2500人)という日本では無名の町をロケ地に選んでいる。ストラングフォードは、イングランド・コーンウォールの小さな漁港マーゾル(Mousehole)を追懐させる。原作は1959年の古き良き、しかし隠微で閉鎖的な住民の多い小さな町という設定。
 
 ポータフェリーとストラングフォードは北アイルランド・英国本島最大の入江に囲まれた「Strangford Lough」(ストラングフォード・ラフ=湖)に面し、ブーメランの形をした半島南端の対岸に向かい合っている。ストラングフォード・ポータフェリー間はフェリーが運航。
陸路のみ車で行けば約90分(75キロ)を要するが、フェリーなら8分(1キロ強)である。夏でも水温が低く、距離は短いといっても泳いで渉るのはどうか。ストラングフォードは文字通り「強い砦」の意。ストラングはストロングの古語。
 
 蘊蓄を述べるとあくびが出るので本題に移ると、「マイ・ブックショップ」は本年度ベストの作品である。来たるべき8ヶ月を度外視すればそうなる。小さな本屋の女性経営者(主役)エミリー・モーティマーはそれまでの出演映画のなかで出色。
住民と40年間交流せず、本を通して主役と交流する風変わりな老紳士(ビル・ナイ)も秀逸。「マリーゴールド・ホテル」でジュディ・デンチ、マギー・スミスなどそうそうたる英国女優に囲まれ影薄く、しかし好演したビル・ナイがこの作品で本領発揮、生涯の当たり役となるだろう。
 
 65歳を過ぎ、あるいは古稀を迎え、老いと向き合っているあなた、ステキな老人って、ゆたかで透徹した感性ってそういうことかもしれない、最後の清々しさを垣間みる思い。
残された時間のなかで語るべき言葉はわずかだ。「マイ・ブックショップ」には、品位を保つために無気力を失わなかった老人の境地が見事に描かれる。彼の怒りが感動を呼ぶ。無情の時よ、束になって過去を奪おうとしても、たのしかった語らいを葬ることはできまい。
 
 ビル・ナイと同じくらいうまかったのは本屋のアルバイト少女クリスティーン役オナー・ニーフシー(上の後ろ姿)である。英国テレビドラマ「チェスター動物園をつくろう」(WOWOW 2015年4月29日放送)でモーターズヘッド家の次女ジューンをやったとき、彼女は9歳か10歳だった。
英国の同年代にこれはと思う子役は数人いた。「つぐない」(英国 2007)に出たシャーシャ・ローナン。先月末にみた「ふたりの女王」(2018)でメアリー・ステゥアート役。
 
 日本で一般公開された英国映画・ドラマはそう多くないが、オナー・ニーフシーはつい最近(4月19日)、同じ映画館でみた「ねじれた家」(原作 A・クリスティー 2017英米合作)にも重要な役で出演している。
一家の長・祖父が事業に成功し大富豪にのし上がる。家族は、神経を逆なでする異常な感性を持つ彼に反感を持っている。成り上がりに対しての反発心もある。が、異常な感性は彼だけではない、家族のほとんども同様なのだ。
 
 「ねじれた家」は失敗作である。脚本と演出が雑。字幕(翻訳)もぱっとしない。主役級の大叔母役グレン・クローズがはりきりすぎて興ざめ。「白と黒のナイフ」(1985 米)の切れはどこへいったのか。私立探偵役マックス・アイアンズも役のハラが薄い。連続ドラマ「コンドル」の主演は何だったのか。父ジェレミー・アイアンズと比較されるのだぞ。
 
 脚本も配役も、総じてミステリーの味、コク、緊迫感が乏しい。ミステリーというよりホラー映画的演出が目立つ。音楽もクラシックと現代風音楽がごちゃまぜ、ばらばら。そういうなか、ひとり気を吐いているのがオナー・ニーフシー。「祖父によってバレーダンサーの夢を打ち砕かれた」少女という伏線が結末を暗示する。
 
 そういうオファーが多いのか気の強い少女役が増えた。「マイ・ブックショップ」の役どころは頭の回転が早く、芯の強い少女。おもしろい映画は上映時間が短く感じられる。ゆっくり展開するようでいてテンポがいい。110分はあっという間。もう少し、少女がおとなになるまでとも思うが、端折るほうがいいこともある。最終シーンについては述べないほうがいい。
 
 若かったころ、買った本を家で開く。読むより先に匂いを嗅ぐ。イヌみたいだけれど必ずそうした。新刊書特有の香りがたまらなかった。この映画をみると香りがよみがえる。
 
 「マイ・ブックショップ」をみると、これも人生、それも人生ということを思う。望みどおりにならないのが人生であるなら、この世は不毛に満ちている。それでも映画は、過去の人間が未来の人間のありように影響を与えることを示唆している。
どう生きるか、どう挑むか。勇気を出せるかどうか。気の遠くなるような時が過ぎ、魅了されたのは勇気であることに気づく。言葉でなく行動で示せたか。言うは易し、行うは難し。
 
 本屋の健気な女性経営者は少女の生きかたを決定づける。少女は雇い主と同じ時間を生きていた。読書が好きかどうかではない、問題は本が好きかどうか。人を愛せたかどうか。感動は長続きしない。だが、思い出してふたたび感動することはあるのだ。