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クラッグサイドは1977年にナショナルトラストが取得し、2007年一般公開されたという。
2016年の訪問者数は約22万7千人。22万は多いと思うかもしれないが、一日平均620人では、広大な敷地の
どこに人がいるのかわからない。迷子になる人も出る。かくれんぼには向いていない。
ウォーキングを苦にしない英国人は多い。が、都市部の仏伊人は月に1万歩程度しか歩かない。英国の名所に
来て、めざす場所が駐車場から遠いこと、入場して歩行距離の長いことにブツクサ文句を言うのは彼らである。
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ここに電気自動車用の充電設備を置くということなのだろう。2018年6月から約1年が過ぎ、すでに完成しているかもしれない。
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木々のあいだから見る建物は橋も架かって絵になっている。フキの葉が大きいのは食用にせず育て放題だから。
針葉樹と広葉樹が混じり雑木林になっているのもグラッグサイドの特長。
針葉樹にはスコットランド松もあり、樹高40メートル。一説によるとアームストロング卿は700万本の植樹を完遂したとか。
ほんとうかしらとも思うが、1700エーカー(215万坪 1880年代時点)の敷地なら数百万本の植樹は可能。
1890年代アームストロング卿は土地を買い足したというが、面積は不明。卿の死後1910年クラッグサイドは売却された。
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高橋哲雄著「イギリス歴史の旅」によると、「日本海海戦の東郷艦隊の艦砲のほとんど
はアームストロング製。徳川頼貞は1916、29、51年とクラッグサイドを訪問し、
平成天皇も皇太子時代の1953年、エリザベス2世戴冠式のさい、ここに8日間滞在」。
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向こうに見える小高い丘(山にみえる)も敷地。
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ねじ曲がって結ばれたような感じがいかにも迷宮の入口。
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こうした入口は随所にあり、迷宮ではあっても、見学者が迷いすぎないよう示唆しているのだろうか。
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この水路がけっこう長い。
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こういう場所を見ると南禅寺・水路閣の疏水を思い出す。南禅寺水路閣は水道橋になっており、地上にあるけれど。
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以下、照明器具すべては敷地内の自家発電による電気を使っている。
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クラッグサイドの各部屋は小粋な装い。
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クラシックモダンとでもいうべき意匠に両肘机。幅、奥行きともたっぷりサイズ。
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天井にぶらさがっている灯りが、あたりまえとはいえ部屋ごとに異なる。
シャンデリアとは別なおもむき。こういうライト、書斎に一個。
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寝室はどうでもいいけれど、電気スタンドはどうでもよくない、安けりゃ買いたい。
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110センチX80センチ。「オレンジ・ガール」はエドワード・パトリー(1856−1940)
が1885年に描いた。「Torn Skirt 」と記されており、「破れたスカート」をはいている。
貴婦人、富裕商人など壮麗、あるいは重厚な肖像画のなかにあって
ひときわかがやくオレンジ、農村の少女。
ブラウスや腕が汚れていても、130年の時をこえて新鮮さは失われていない。
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「1885−1886年に湖がつくられ、油圧式(hydraulic)のポンプが稼働し、飲料水の供給がはじまった」とか、
「1886年にダムが築かれ、水力発電により送電力が増した」というようなことが記されている。
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自前の水力発電がはじまったころの電球は現在も光を放つ。
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LEDではないし白熱でもないし。ガス灯? 違うでしょう。調べようと思いながら‥
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暖炉には約10トンに大理石が使われている。
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大聖堂のステンドグラスのように荘重でも華麗でもないけれど、かわいい。
一戸建てに住んでいるならこういう窓ガラス、一ヶ所はあっても。
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館の内部を見学しているうちに空が晴れてきた。
額縁の絵、いかにもノーサンバーランドの北海に面した古城、もしくは廃城という感じ。
ダンスタンバラ城ほどの孤独と寂寥感は稀薄であるが。
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フォー・ポスター・ベッド(Four Poster Bed=4柱式ベッド)が台に乗って湖面に浮かぶ。
16世紀エリザベス朝、王家や侯爵の遊びを摸したのか。英国的愉悦。
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一応ボートハウスだが、水が涸れているので、ただのボート置場。
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ビジターズ・ハウスにはクラッグサイドの歴史と沿革を識る展示物がある。駐車場にも近い。
クラッグサイドの敷地すべて回るのは半日では不可能。室内だけでも3時間かかる。
近郊に泊まり、2日がかりで見学すればなんとかなるかもしれない。
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